それでは、この箇所で民数記のタイトルの2つ目の理由が分かります。
つまり、エジプトから出た世代が亡くなった後、モーセはもう一度イスラエル人の人数を数えたのです。
けれども、私が興味深いと思うのは、モーセがこの情報を書くときに他の情報も書き加えたことです。おそらく、モーセはその情報を通してイスラエル人に警告を伝えたかったのだと思います。
つまり、罪の結果について警告を与えたかったのです。(26:9-10)
最初に、コラ、ダタン、アビラムとその仲間たちの反抗について書いています。
そして、ユダの息子エルとオナンの罪とその死についても記されています。(26:19;また、創世記38)
さらに、アロンの息子ナダブとアビフの話もあります。その二人は、主の前に異なった火をささげたために死んだのです。(26:61)
最後に、エジプトを出た世代が全員亡くなったことについて書いています。その世代が亡くなった理由は、彼らが主に信頼しなかったためです。
また、27章では、モーセがカナンに入れなかった理由が記されています。つまり、ツィンの荒野でモーセは神様の命令に従わなかったのです。
この箇所のポイントは何でしょうか?
それは、「罪の結果は死である」ということです。
私たちは皆、罪を犯したため、いずれ死にます。
ローマ書6章23節には、こう書かれています。
罪から来る報酬は死です。
その真理から逃れることはできません。罪は本当に深刻な問題です。
もし、イエス様が私たちがこの世を去る前に来られないのなら、私たちは皆死ぬ運命にあります。
それだけでなく、私たちは皆、地獄に行くに値する者です。
けれども、ローマ書6章23節の最後の部分には、素晴らしい知らせがあります。
しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
イエス様は私たちの罪のために十字架でその代価を払われました。そして、もし私たちがイエス様を信じるなら、天国に入ることができます。
今でも、私たちは神様の前に恐れずに近づくことができるのです。
あなたはどうでしょうか。イエス様に信頼していますか。天国に行く確信を持っていますか。
