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申命記

神様が「ノー」と答えられる時に

申命記3:21ー29

私の父は一年前に亡くなりました。その後、家族みんなで父のことを思い出して、いろいろな話をしました。

2003年、父は事故にあって目が見えなくなりました。その後、父と話した時に、こう言いました。

神様と話し始めましたが、私だけが話していたため、神様の声を聞くことができませんでした。

そして、この聖書の箇所を思い出しました。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」

そのため、私は静かに黙り、神様の声を聞き始めました。そして、

その日曜日の晩に、神様の声を聞くことができました。

次の朝、私は聞いたことをリアン(私の母)に伝えました。それは、皆が奇跡のために祈っていること、つまり、私の目が見えるようになるように祈っていることです。

けれども、神様は私にこう言われました。

「私はその奇跡を行うことができる。しかし、そうはしない。

むしろ、もっと素晴らしい賜物を与えよう。愛と情けと哀れみに満ちた心を与えるのです。」

父が亡くなるまで、目が癒されることはありませんでした。けれども、神様が約束された通り、父は新しい心を与えていただきました。

この箇所では、モーセも神様から「ノー」の答えを聞く経験をしました。

メリバという場所で罪を犯したために、神様はモーセにこう言われました。「あなたは私が約束した土地に入ることはできません。」(民数記20章)

それでも、モーセは神様に懇願しました。「どうか、あなたが約束された土地に私を入らせてください。」

ところが、神様は答えられました。「もう十分です。この件について、もう二度と私に言ってはなりません。」(申命記3:26)

モーセはどのように反応したのでしょうか。彼は拗ねたり、文句を言ったり、「それなら、あなたにはもう従わない」と口にしたりしたのでしょうか?

むしろ、彼は忠実に神様に仕え続けました。

そして、次のイスラエルのリーダーとなるヨシュアを訓練しました。

「もし十分な信仰があれば、あなたが神様に何かを願う時、神様は必ず『イエス』と答えなければならない」と教える人がいるのです。

しかし、この箇所では、神様がその意見に反論しています。

時として、神様はご自身の理由によって、私たちの願いを拒否されます。

モーセの場合は、彼の罪のゆえに神様がその願いを拒絶されました。

一方で、私の父の場合は、神様がさらに素晴らしい奇跡を行おうとされたのです。

それは、新しい心を与えることでした。

私たちが自分に問いかけるべきことは、「神様がノーと答えられた時、私はどう反応するだろうか」ということです。

私は、モーセと私の父のように反応したいと思います。

この二人は、とても失望したことでしょう。

私の父は、目が見えるようになりたいと願っていました。

モーセは、神様が約束した土地に入りたいと願っていました。

けれども


、神様がノーと答えたとしても、彼らは神様に忠実に仕え続けました。

神様、モーセの話を感謝します。

また、私の父の話を感謝します。

どうして時にはあなたが「ノー」と答えられるのか、私は分かりません。それでも、あなたの方法が最善であることを信じます。

あなたが「イエス」と言われても「ノー」と言われても、私が常に忠実に仕え続けることができるように助けてください。アーメン。

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