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申命記

信仰の出発点

申命記4:32ー40

私にとって、この箇所の言葉は非常に印象的です。

きょう、あなたは、上は天、下は地において、だけが神であり、ほかに神はないことを知り、心を留めなさい。(申命記4:39)

これは、信仰の出発点なのです。

この言葉を告白すること自体で信仰が完全になるわけではありませんが、その告白こそが信仰の始まりなのです。つまり、神様が存在することを認め、告白することが、信仰の第一歩となります。

ヘブル書11章6節にはこうあります。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。

神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

これが信仰の出発点ですが、神様が存在することを信じるだけでは十分ではありません。他に神がいないことを信じる必要があります。

仏陀が神であると信じてはいけません。アッラーが神様の名前だと信じてもいけません。

私たちは、神様がご自身をどのように表されたのかをそのまま信じなければならないのです。

皆さんは、象と盲人たちの話を聞いたことがあるかもしれません。

ある盲人は象の鼻に触れて、「象は蛇のようだ」と言いました。

もう一人の盲人は象の足に触れて、「いいえ、違います。象は木の幹のようだ」と言いました。

全ての盲人は象の異なる部分に触ったため、それぞれ異なる意見を持ちました。

この話が伝える教訓は、盲人たちはそれぞれ少しずつ正しかったものの、最終的には誤った結論に至ったということです。彼らは真実を部分的に理解しましたが、完全には理解できませんでした。

宗教もこれと似ています。

すべての宗教は神様についての真実を部分的に知っていますが、異なる視点や考え方を持っています。

すべての宗教が少し正しい一方で少し間違っているという点では似ていますが、同じ神様について教えようとしています。

しかし、この話には問題があります。

その盲人たちが誤った理由は、象が話せなかったことにあります。象は、「違う、違う。あなたたちは間違っています。私はこういう動物です」と言うことができませんでした。

ですが、神様はイスラエルの民にご自身を表してくださいました。彼らは推測する必要がありませんでした。

神様はこう言われました。

さあ、あなたより前の過ぎ去った時代に尋ねてみるがよい。

神が地上に人を造られた日からこのかた、天のこの果てからかの果てまでに、これほど偉大なことが起こったであろうか。このようなことが聞かれたであろうか。

あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていた民があっただろうか。

あるいは、あなたがたの神、が、エジプトにおいてあなたの目の前で、あなたがたのためになさったように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力とをもって、一つの国民を他の国民の中から取って、あえてご自身のものとされた神があったであろうか。

あなたにこのことが示されたのは、だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった。

主はあなたを訓練するため、天から御声を聞かせ、地の上では、大きい火を見させた。その火の中からあなたは、みことばを聞いた。

主は、あなたの先祖たちを愛して、その後の子孫を選んでおられたので、主ご自身が大いなる力をもって、あなたをエジプトから連れ出した。

それはあなたよりも大きく、強い国々を、あなたの前から追い払い、あなたを彼らの地に入らせ、これを相続地としてあなたに与えるためであった。今日のとおりである。(申命記4:32-38)

神様がご自身を表されたので、イスラエルの民には言い訳ができませんでした。神様ははっきりとご自身を説明されました。

そのため、神様はこう言われました。「私だけが神であり、ほかに神はないことを認めなさい。」

神様は私たちにも同じことを言われます。

「私を信じない理由はありません。 あなたが私について間違ったイメージを持つ理由もありません。私は聖書の中でご自身を表しましたのです。」

私たちが自分自身に問わなければならないのは、神様を信じるかどうかということです。

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