去年、私の娘は、いつも何かを指さして「これは何ですか?」と尋ねていました。
私は英語の言葉を教え、妻は日本語の言葉を教えました。娘がバイリンガルになることを望んでいるからです。
けれども、娘が「どうして」と尋ね始めることを、まったく楽しみにしていません。
「これは何?」という質問は、「どうして?」という質問に比べて答えやすいです。
「どうして?」という質問に答えるのは、時々少し面倒に感じることもあります。
やがて、娘は私たちのルールの理由を知りたいと思うようになるかもしれません。そして、いつも「どうして?どうして?」と尋ね続けるかもしれません。
そのような時、「私がそう言ったから」という答えが最も簡単に感じるかもしれません。
けれども、神様はそうなさらないのです。
この箇所で、モーセはイスラエルの民に神様の命令について話しました。
その際、神様はその命令の理由についても伝えられました。
神様はこう言われました。
どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。(申命記5:29)
後で、モーセはイスラエル人に言いました。
あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行いなさい。
右にも左にもそれてはならない。 あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。
あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。(32ー33節)
神様は決してご自分勝手な規則を設けられることはないのです。
また、理由のない命令を与えられることもないのです。
むしろ、神様の最大の望みは、私たちの人生がうまくいくことであり、私たちがいつもしあわせに生きることなのです。
時には、神様がある命令を与えられる理由がわかりにくいことがあります。
しかし、神様に従うなら、最終的に私たちの人生は良い方向へ導かれます。
今はその理由がわからないかもしれませんが、後になって理解できることもあるでしょう。
ですから、「どうして」と問いかけたい時には、その理由を思い出してください。
それは、神様が私たちを愛し、私たちのために最善を望んでおられるからです。
それを信じますか?
