自立。
私の父は多くのことを教えてくれましたが、その中でも特に、どうやって自立するかを教えてくれました。
兄や姉が同じ意見を持っているかどうかは分かりませんが、おそらく賛成していると思います。
とはいえ、自立は両刃の剣のようなものです。
すべての親が、自分の子供が成長して自立することを望んでいますが、極端な自立は孤立につながる可能性があります。それは良いことではありません。
なぜなら、誰も100%自立するために創造されてはいないからです。どうしても、この人生で全く一人で生きることはできません。
私たちは互いを必要としています。そして、それ以上に、私たちは神様を必要としています。
神様はイスラエルの民にこれを教えようとされました。
神様はこう言われました。
あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。
それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。
それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。(申命記8:2-5)
イスラエルの民が荒野を通ったとき、神様が彼らに教えようとされた大事なことの一つは、彼らが神様を必要としているという事実でした。
時々、神様は彼らが飢えることや喉が渇くことを許されました。けれども、結局は神様がイスラエルの民のすべての必要を備えられました。彼らの服もボロボロになりませんでした。(私の服もそうだったら良いのに、と思います。)
しかし、彼らを神様が約束の地に導かれる前に、神様は警告を与えられました。
あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。
あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。(17-18)
私たちは何かが必要な時に神様を思い出すことは簡単です。けれども、すべての必要が満たされた時には、神様が必要であることを忘れてしまいやすいものです。
私たちが給料を得るために、神様が力と才能を与えてくださったことを忘れるのは簡単です。むしろ、自分の努力だけを通して成功したと思い始めることもあります。
その結果、神様を信頼するのではなく、自分自身に頼り始めてしまいます。
しかし、私たちは自分自身を信頼人生のために造られたわけではありません。
私の父もこのことを学ばなくてはなりませんでした。父は過度に自立を追求したために、100%神様を信頼することができませんでした。
けれども、父の目が見えなくなった時に、その重要なレッスンを学びました。つまり、父は神様と他の人々を必要としていたのです。盲人となったことで、自立した人生を送ることは不可能になりました。
私はまだそれを学んでいる最中です。
父から自立についての教えを受けたことに感謝しています。その教えによって私は大人になることを学びました。
しかし同時に、その教えは私の霊的な成長を妨げるものとなりました。神様を信頼せずに、私は自分自身を信頼するようになりました。
神様が「信仰によって踏み出しなさい」と言われても、私は踏み出しません。なぜなら、本当に神様を信頼できるかどうかが分からないからです。
だからこそ、父と同じように、私も信頼について学ぶ必要があります。
神様、私があなたを信頼することができるよう助けてください。
あなたを信頼するよう導いてください。あなただけが必要であることを思い出すようにしてください。私があなたを信頼し、あなたに従うことができるよう助けてください。
そして、私があなたの口から出るすべてのもので生きることができますように。
父から自立の意味を学んだことに感謝します。けれども、天のお父様、あなたを信頼することを教えてください。アーメン。
