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申命記

神様から引き離すもの

申命記11章

目に見えない神様に従うことは、時に難しいものです。

その一つの理由は、私たちが見えるものに引き寄せられるからです。

私たちは趣味に引き寄せられることがあります。

特定の彼や彼女に引き寄せられることもあります。

お金や持ち物に引き寄せられることもあります。

それらのものに引き寄せられるのは簡単です。なぜならば、それらが私たちの目の前にあり、私たちはそれらを見ることも、触れることもできるからです。そして、それらによってすぐに満足するようになるからです。

それら自体は悪いものではありません。

しかし、時には私たちにとって神様よりも大切になってしまうことがあります。

そのことを神様はご存じだったので、イスラエルの民にこう言われました。

気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことがないように。(申命記11:16)

イスラエルの民にとって、「神々」とは、周囲の国々が礼拝していた偶像のことでした。

私たちにとっての「神々」は、多分、お金、力、セックスといったものかもしれません。多くの人々は、それらによって神様から引き離されてしまいます。

使徒の時代も同じでした。パウロはデマスという人物について、こう記しました。

デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまいました。(第二テモテ4:10)

デマスは以前、パウロのミニストリーに参加していました(コロサイ4:14;ピリピ1:24)。

しかし、結局彼の心は迷い、横道にそれてしまいました。

理由は分かりません。お金が原因だったかもしれませんし、持ち物への欲望が原因だったかもしれません。

けれども、最終的にデマスはパウロを捨て、神様をも捨ててしまいました。

私たちも気を付けなければ、同じことが起こるかもしれません。

そのため、モーセはイスラエルの民に言いました。

あなたがたは、私のことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。

それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家に座っているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。

これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。

それは、があなたがたの先祖たちに、与えると誓われた地で、あなたがたの日数と、あなたがたの子孫の日数が、天が地をおおう日数のように長くなるためである。(申命記11:18-21)

つまり、心と思いと魂の中で、神様を中心にするべきです。

何をしていても、どこに行っても、どこに居ても、あなたの人生の中心には神様があるべきです。

そして、あなたの子供にもそのことを教えなくてはなりません。そうすることで、この世界によって神様から引き離されることを防ぐことができます。

あなたは何を追いかけていますか。誰を追いかけていますか。

この世界のものを中心に据えていますか。

それとも、すべてよりも神様を中心にしているでしょうか。

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