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申命記

見るのに、信じるべきではないとき

申命記13章

「私は見ると信じる。」

アメリカ人は何か信じられない時に、その表現をよく使います。

西宮で台風の警告が出るとき、私はいつもそう思います。

どうしてでしょうか。台風は西宮にほとんど来ないからです。西宮において台風とは、少し強い風が吹いて、少し雨が降る程度のものです。

もし私が和歌山や沖縄に住んでいたら、もっと心配するかもしれません。でも、西宮の人々がなぜそんなに心配するのか、私には分かりません。

信仰に関して、時々人々は「物理的な証拠があれば、私は信じる」と言います。

イエス様の弟子トマスもそのような人でした。英語では、彼は「Doubting Thomas」、つまり「疑い深いトマス」と呼ばれています。

しかし、時には、目にしても信じるべきではないこともあります。

モーセはこの箇所でこう言いました。

あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。

あなたがたの神、は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうにあなたがたの神、を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。(申命記13:1-3)

モーセがその言葉を言ったとき、エジプトの呪法師たちのことを考えていたかもしれません。

モーセがパロのもとに行った時、多くの奇跡を行いました。ところが、パロの呪法師たちが自分たちの奇跡を行ったため、パロはモーセの言葉に従いませんでした。

だからモーセが伝えたかったことは、超自然的な力を持つ存在が神様だけではないということです。サタンや悪霊も超自然的な力を持っています。

そのため、奇跡やしるしを見ても、それらが神様から来たと決めつけてはいけません。

私たちが自分に尋ねるべきことは、「この奇跡はどこから来たのでしょうか」ということです。神様から来たのでしょうか。サタンから来たのでしょうか。」

それ以外の可能性はありません。

では、どうやって見分けることができるのでしょうか。

2節に答えが記されています。

もし、奇跡を行っている人が偽の神々を述べ伝えているなら、その力はサタンから来ています。

また、その人が聖書に反することを述べ伝えているなら、その人の力はサタンから来ています。

さらに、その人が神様が禁じられたことを教えているなら、その力もまたサタンから来ています。

いつか反キリストが現れる時が来ます。その時、彼はしるしと奇跡を行い、多くの人々を驚かせるでしょう。(黙示録13:11-14;マタイ24:24)。

しかし、それらのしるしと奇跡は神様から来たものではありません。それらはサタンから来たものです。

それでも、多くの人々はその奇跡を目にすることで反キリストを信じ、騙されてしまうのです。

では、私たちはどうすればよいのでしょうか。

奇跡だけを見て判断するのではなく、自分に問いかける必要があります。

「彼らは何を教えているのでしょうか。その教えは聖書に基づいているでしょうか。その教えは神様の言葉に反していないでしょうか。また、その教えは聖書だけに基づいているでしょうか。

それとも、その人は他の宗教の教えも取り入れているのでしょうか。」

時々、クリスチャンの中には、創価学会の奇跡を見て「私たちもその原則を使えるのではないか」と考える人もいます。

けれども、それは絶対に避けるべきことです。

もちろん、そのようなグループで奇跡が起こることもありますが、その力がどこから来たのかを考えるべきです。「霊的な原則から来た」のでしょうか。それとも、サタンから来たのでしょうか。

ですから、心に留めましょう。時には、目にしても信じるべきではないことがあります。

だからこそ、パウロはこう言いました。

すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

悪はどんな悪でも避けなさい。(第一テサロニケ5:21-22)

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