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申命記

隠れていない、遠くかけ離れたものでもない

申命記27ー30章

祝福と呪い。

根本的に、それがこの箇所の内容です。

神様が言われたのは、もしイスラエル人が神様を愛し、従うならば、神様が彼らを祝福されるということです。

けれども、彼らが神様に背を向けるならば、呪いが臨むと言われたのです。

この祝福と呪いはイスラエル人だけのためだったので、具体的には説明しませんが、私たちが学ぶことがあると思います。

最初に、イスラエル人がどんなに失敗しても、神様はいつも彼らと和解することを望んでおられました。

30章で、神様が言われたのは、罪によってどんなに悪い状態になっても、神様が彼らと和解するために働かれるということです。

神様は彼らの心の中に働き続けることを約束されました。そして、その働きによって、彼らはもう一度神様に戻り、愛し、従うようになるのです。

神様は私たちのためにも同じことをされます。

私たちが神様からどんなに遠く離れても、神様は私たちとの和解のために働いてくださいます。

二つ目は、神様の道は隠れていないということです。

神様は私たちに何をして欲しいかをはっきりと示してくださいます。神様は私たちが知らないことで罰することはされません。

イスラエルの民は神様の要求をよく知っていました。そして彼らの敵でさえ、その要求を知っていました。

神様はこう言われました。

すべての国々は言おう。「なぜ、はこの地に、このようなことをしたのか。この激しい燃える怒りは、なぜなのだ。」

人々は言おう。「それは、彼らの父祖の神、が彼らをエジプトの地から連れ出して、彼らと結ばれた契約を、彼らが捨て、(申命記29:24-25)

そして、神様はイスラエル人にこう言われました。

隠されていることは、私たちの神、のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。 (申命記29:29)

だから、イスラエル人が罪を犯したときに、言い訳はありませんでした。私たちにも言い訳はありません。

神様はご自身の言葉を示されました。けれども、それだけではなく、その言葉は私から遠くかけ離れたものでもありません。

まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。

これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか」と言わなくてもよい。

また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか」と言わなくてもよい。

まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。(申命記30:11-14)

「遠くかけ離れたものでもない」というのは、誰でも神様の御言葉を聞くことができるという意味です。

とはいえ、別の意味では、その言葉は私から遠くかけ離れたものです。つまり、私たちは皆、神様の御言葉に完全に従うことができません。私たちは皆、罪を犯します。

パウロが書いたように、神様の律法は私たちを神様の前に正しくすることはできません。律法は私たちの罪を明らかにするだけです。

けれども、パウロはこの申命記の箇所を通して、イエス・キリストを信じる信仰によって、神様が私たちを義と認めてくださることを教えました。

しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。

また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることなのです。

では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:6-10)

だから、私たちは、もはや自分の努力によって義人になろうとしません。むしろ、イエス様の十字架の働きによって私たちは義と認められます。私たちがしなければならないのは信じることだけです。

イエス様はこう言われました。

あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。(ヨハネ6:29)

イエス様の御言葉を心に留めておいて、イスラエル人へのモーセの言葉について考えてみましょう。

モーセはこう言いました

あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、

あなたの神、を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり(ます)。(申命記30:19-20)

イスラエルの民にとって、その意味は神様の命令に従いなさいという意味でした。

しかし、2000年前に、キリストを通して、神様はご自身を私たちに表してくださいました。

だから、今、命を選ぶことはイエス様を選ぶことなのです。

ですから、イエス様を選びましょう。

イエス様こそ、私たちの命なのです。

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