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申命記

命を与える言葉、命を与えてくださる方

申命記31ー32章

神様はイスラエル人の性格に関して、ご自身をごまかしてはおられませんでした。彼らの不誠実な性格をよく覚えておられ、将来においても彼らが不誠実になることをご存知でした。

だから、神様はモーセに歌を書きなさいと命じられました。なぜならば、イスラエル人が神様に背を向けて苦しい状況に陥った時、その理由が分かるためです。

その歌は、イスラエル人に対する神様の慈しみと、彼らの不誠実さについて書かれたものでした。この歌は、イスラエル人を警告するためのものでした。

しかし同時に、イスラエル人に希望を与えるためでもあります。

神様はこう言われました。

今、見よ。わたしこそ、それなのだ。

わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。

わたしは傷つけ、またいやす。

わたしの手から救い出せる者はいない。(申命記32:39)

けれども、一番印象に残っている言葉は46-47節です。モーセはこう言いました。

あなたがたは、私が、きょう、あなたがたを戒めるこのすべてのことばを心に納めなさい。それをあなたがたの子どもたちに命じて、このみおしえのすべてのことばを守り行わせなさい。

これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。(申命記32:46-47)

つまり、「注意しなさい。この言葉に従えば、命を得ることができます。」

神様は私たちに同じことを語られます。

それは書かれた言葉だけではなく、生きている言葉についてもです。

「生きている言葉」というのはイエス様のことです。

イエス様は神様の本質の完全な現れです。イエス様はこの世に来られ、神様の性格を示し、私たちがどのように神様を喜ばせるか教えてくださいました。

そして、イエス様は十字架で私たちの罪のために死んでくださいました。

私たちにとって、イエス様の人生の話はむなしいものではありません。そのように考えてはいけません。

イエス様を信じれば、イエス様は私たちに命を与えてくださるからです。

ヨハネはこう記しました。

ことば「つまり、イエス様」は人となって、私たちの間に住まわれた。(ヨハネ 1:14)

また、

しかし、「イエス様」を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ 1:12)

だから、イエス様をむなしい言葉として考えるのをやめましょう。

イエス様を無視する言葉として見なしてはいけません。

むしろ、あなたの命をイエス様に捧げてください。

そうすれば、イエス様は命を与えてくださいます。

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