創世記が終わったように、申命記も祝福で終わります。
創世記では、ヤコブが息子たちのために具体的な祈りを捧げたように、モーセもその子孫のために具体的な祈りを捧げました。
それを読んだとき、私はこう思いました。
「どのくらい私は相手の前で、その人のために祈るでしょうか。また、どのくらい具体的な祈りを捧げるでしょうか。」
モーセが何のために祈ったのか、少し考えてみてください。
神様がユダを敵から助けてくださるように祈りました。(申命記33:7)
私たちが心に留めておかなければならないのは、霊的な戦いのただ中にいるということなのです。だからこそ、戦っている間に、他の「兵士」のために祈らなければならないのです。
そして、神様に仕える人々、すなわちレビ人のためにも、モーセは祈ったのです。
彼の資産を祝福し、その手のわざに恵みを施してください。(11)
そのように、私たちも神様に仕える人々のために祈るべきです。特に、牧師たちのために祈るべきです。
彼らは私たちの教会を導いているので、神様が彼らを祝福してくださるように祈らなければなりません。
そのあと、モーセは、安全と安らぎのために祈りました。(12節)
この世では、私たちは多くの心配ごとに囲まれ、圧倒されやすいものです。だからこそ、私たちには「人のすべての考えにまさる神の平安」が必要です。
最後に、モーセは物質的な祝福のためにも祈りました。金持ちになることを願うためではありませんが、神様の祝福を通して私たちが他の人を祝福できるようにと祈るべきです。(第二コリント9:8-11)
他の人のために一般的な祈りをするのは簡単かもしれません。しかし、もっと具体的な祈りを捧げましょう。
あなたも他の人からそのような祈りを望んでいるでしょうし、私もそのような祈りを必要としているのです。
