エリファズはヨブに最初のスピーチをした。私にとって、興味深いポイントは、時々エリファズが正しいことを言ったことです。
実は、パウロは第一コリント3:19でエリファズの言葉を引用しています。
神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。(ヨブ記5:13)
エリファズはもう一つの真実を語りました。
ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。
神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。(17-18)
ソロモンも、そのようなことを書きました。
わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。
父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。(箴言3:11ー12)
しかし、問題は、この言葉がヨブの状況には適用できなかったという点です。神様はヨブを罰しておられず、ヨブは全く悪いことをしていませんでした。
そのため、その「真実」の言葉はヨブを助けるどころか、さらに彼を落ち込ませ、怒らせる結果となりました。
ヨブはこう思いました。「友人たちは私を慰めてくれるはずだったのに、かえって攻撃された」(6章)。
彼らの言葉によって、神様はまるで不公平な方のように見えてしまいました。つまり、ヨブが何の悪いこともしていないにもかかわらず、神様はヨブを罰しているように見えたのです(7章)。
私が伝えたいポイントはこうです。「真実」を使うときには注意が必要です。あなたの言葉が真実であったとしても、それがその状況に本当に適用できるかどうかをよく考えてください。
あなたの意図が良かったとしても、もしあなたの言葉がその状況に適用できないなら、相手を傷つけてしまう可能性があります。そして、神様はその言葉のためにあなたを裁かれるかもしれません。
