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ヨブ記

人々を裁くこと

ヨブ記11ー13章

この箇所では、ヨブの友人たちはヨブの性格を攻撃し続けています。

今度はツォファルの番です。ツォファルも他の友人たちと同じように、ヨブが悪いことをしたために、神様がヨブを罰していると主張します。

ヨブはそれを聞き、その友人たちの「知恵」を嘲笑し、「あなたたちだけではなく、私も神様の力と知恵をよく知っている」と言いました。その後、ヨブはこう言いました。

だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。

しかし、あなたがたは偽りをでっちあげる者、あなたがたはみな、能なしの医者だ。

ああ、あなたがたが全く黙っていたら、それがあなたがたの知恵であったろうに。

さあ、私の論ずるところを聞き、私のくちびるの訴えに耳を貸せ。

あなたがたは神の代わりに、なんと、不正を言うのか。神の代わりに、欺きを語るのか。

神の顔を、あなたがたは立てるつもりなのか。神の代わりに言い争うのか。

神があなたがたを調べても、大丈夫か。あなたがたは、人が人を欺くように、神を欺こうとするのか。

もし、あなたがたが隠れて自分の顔を立てようとするなら、神は必ずあなたがたを責める。

神の威厳はあなたがたを震え上がらせないだろうか。その恐れがあなたがたを襲わないだろうか。(ヨブ記13:3-11)

つまり、「あなたたちはたくさん言っているけど、事実を理解していない。『あなたは罪を犯しただろう?』と言うけど、私は全くしていない。あなたたちとはもう話したくない。神様と話したい。神様のほうが公平だから。

もし、あなたたちが神様の前に裁かれたら、立てるだろうか?あなたたちはどう感じるだろうか?」

ヨブは正しかった。彼らは根拠もないのにヨブを責めました。そして、神様が彼らを問い詰めると、彼らは立つことができませんでした。ヨブ記の最後にその様子が描かれています。

だから、私たちが人を裁くときには注意が必要です。

時々、人々はヨブの友人たちのように周りの人々を裁きます。彼らはこう言います。「あなたの病気が癒されない理由は、あなたの信仰が弱すぎるからです。もし信仰が十分なら癒されるはずです。」

時には、さらにひどいことを言います。「あなたには秘密の罪があるのでしょう?だから病気なのです。」

けれども、神様はそのような人たちを裁かれます。パウロはこのように書いています。

それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。(ローマ14:10-13)

この箇所では、パウロは人々の意見について話しています。たとえば、野菜だけを食べるか、肉を食べるかということや、どの日に礼拝するべきかについてです。パウロは、これらの意見を理由に人々を裁いてはいけないと言いました。

しかし、ほかの箇所で、パウロはこうも言っています。もし誰かが罪を犯したなら、その罪を無視せず、その人に面と向かって指摘しなければならない、と。(第一コリント5章)

ただし、根拠がなければ裁いてはいけません。罪の証拠がないままに兄弟や姉妹を責めてはいけないのです。

そうすると、ヨブの友人たちのように、相手を助けるどころか、彼らの前につまずきになるものを置くことになります。そして、そのようなことをすれば神様はあなたを裁かれるでしょう。

あなたはどうでしょうか。根拠がないのに他の人を裁くことはありますか。イエス様はこのように言われました。

うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。(ヨハネ7:24)

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