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ヨブ記

煩わしい慰め手、本当の慰め手

ヨブ記16章

エリパズの言葉を聞いて、ヨブは腹を立てて、このように返事をしました。

そのようなことを、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ。

むなしいことばに終わりがあろうか。あなたは何に興奮して答えるのか。

私もまた、あなたがたのように語ることができる。もし、あなたがたが私の立場にあったなら、私はことばを連ねてあなたがたを攻撃し、あなたがたに向かって、頭を振ったことだろう。

私は口先だけであなたがたを強くし、私のくちびるでの慰めをやめなかったことだろう。(ヨブ記16:2-5)

つまり、「もう、やめてくれ!何度も何度も同じことを繰り返して言うけど、その言葉は俺を全然助けていない。もしお前たちが俺の立場にあったなら、俺はお前たちを攻撃するだろうか?

いや、情け深い心を持って、俺はお前たちを慰め、お前たちを励ます。それなのに、どうしてそうしてくれないんだ?」

そして、ヨブは自分の惨めな人生について文句を言うけど、最後に興味深いことを言います

今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。

私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。

その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。(19-21)

ヨブの友達は悪い慰め手でしたが、ヨブは天に誰かが、ヨブのためにとりなしをしてくださることを信じていました。

それはその通りです。私たちのためにも、誰かがとりなしをしてくださっています。パウロはこう書きました。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ8:26-27)

ヨブのように、私たちは苦しみ、どのように祈ったらよいかわからず、また私たちの友達が私たちをがっかりさせる時にも、私たちのためにとりなしをしてくださる方がおられます。その方は聖霊様です。聖霊様は私たちのために、神様の御心に従い、とりなしをしてくださいます。

それでは、その結果はどうなるのでしょうか。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)。

多くの場合、私たちは28節だけを読みますが、どうして神様が私たちの益のために働いておられるのか、わからないことがあります。その理由は、聖霊様が私たちのためにとりなしをしてくださっているからです。

あなたはヨブのように、神様があなたを捨てられたと思いますか。また、神様があなたに敵対しておられると思いますか。

それはサタンからの嘘です。今でも、聖霊様はあなたのためにとりなしをしてくださっています。ですから、たとえあなたが見えなくても、神様が私たちの益のために働いておられることを覚えておきましょう。

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