多くの人々は神様の良い性質や存在を疑います。彼らはこう言います。「もし神様が存在し、善良なお方であるなら、なぜこの世界に悪があるのでしょうか。なぜ神様は悪をすべて取り除かないのでしょうか。悪がある以上、絶対に神様は存在しない。たとえ存在していたとしても、神様は善良なお方ではないのです。」
ヨブもまた、ヨブ記の20ー21章および23章で、この疑問について語りました。ヨブはこう尋ねました。「なぜ多くの悪人が罰されないのでしょうか。」
すると、エリフは答えました。
神は決して悪を行わない。全能者は公義を曲げない。(ヨブ記34:12)
そして、14ー15節で、エリフは本当に大切なポイントを述べます。それは、もし神様が完全な正義を強要されたなら、すべての人々が滅ぼされるということです。(34:14ー15)
なぜなら、私たちは皆、罪を犯しているからです。
さらにエリフはこう言いました。「神様はすべての悪人を今罰していないかもしれませんが、私たちが『悪人は決して罰せられていない』とは断言できません。
そして、神様はえこひいきをなさらない方です。結局、すべての罪人は自分の罪の代償を払わなければなりません。
しかし、もし神様が今、憐れみによって何もなさらないのであれば、どうして私たちは文句を言えるでしょうか。なぜなら、もし神様が憐れみを示してくださらなければ、私たちは皆、滅ぼされてしまうからです。」(34:18ー19)
その後、エリフはへりくだる人々とヨブを比較しました。へりくだる人々は自分の罪を認め、悔い改めますが、ヨブは神様の正義を疑問視していました。
エリフは問いかけました。「神様がその態度に報いられると思いますか?あなたはまるで悪人のように話しています。」
35章では、エリフがヨブの言葉の矛盾を指摘します。ヨブは「神様が私の言葉を聞いてくだされば、私の汚名はそそがれる」と言いましたが、同時に神様の正義を疑っていました。
けれども、もしヨブの言うように神様が不正義な方であるなら、そもそも神様がヨブの無罪かどうかを気にすることはないでしょう。
続いて、エリフは「もし神様が不正義な方であるならば、どうして私たちは善を行うべきなのでしょうか」という傲慢な疑問に答えました。
ヨブ自身はその言葉を使いませんでしたが、もしヨブが言うように神様が悪人を罰しないとしたら、多くの人々がそのように考えるでしょう。
エリフはこう答えました。「神様が『悪から離れ、正しいことを行いなさい』と言われるのは、神様ご自身の益のためではなく、私たちの益のためです。
もちろん、神様は私たちを裁かれます。そして、私たちの罪は神様との関係に影響を与えます。
とはいえ、私たちの行動が影響を与えるのは、神様よりもむしろ私たち自身や周囲の人々です。ですから、もし私たちが神様の命令を無視するなら、その結果、傷つくのは私たち自身なのです。」(35:6ー8)
さらにエリフは、別のポイントを指摘しました。多くの人々は苦しみの中で叫びますが、ほとんどの場合、神様に心を向けません。彼らが傲慢な態度を取り続けるため、神様はその叫びをお聞きになりません。
そのため、エリフはヨブに言いました。「あなたも同じような態度を取っています。神様の正義を疑う中で、神様があなたの叫びに答えるべきでしょうか。」(35:9ー15)
そして、36章でエリフは再び繰り返します。神様は悪人を罰し、たとえ正しい人々が苦しむことがあっても(ヨブの友達はそれを認めませんでした)、神様は彼らを高めてくださいます。(36:6ー7)
けれども、エリフはヨブに警告しました。もし神様が苦しみを通してヨブを懲らしめておられるのであれば、その理由を必ずお示しになります。そして、神様は沈黙されません。
(ここでエリフが暗に認めているのは、神様がまだヨブにその理由を明かされていないということかもしれません。)
ただし、もし神様が「悔い改めなさい」と言われたなら、ヨブはへりくだってそれを受け入れ、苦い心を捨てなければなりません。そうしなければ、ヨブは最終的に滅ぼされてしまうでしょう。(36:8ー13)
さらにエリフは別の警告を与えました。もし神様の正義を疑い続けるなら、その態度は罪へとつながるかもしれません。(36:17ー19)
最後にエリフはこう言いました。「あなたは神様を裁く立場にはありません。神様がその苦しみを許されることを批判する資格はないのです。」
これがエリフの言葉です。
見よ。神は力にすぐれておられる。神のような教師が、だれかいようか。
だれが、神にその道を指図したのか。だれが、「あなたは不正をした」と言ったのか。(ヨブ記36:22ー23)。
また、
見よ。神はいと高く、私たちには知ることができない。その年の数も測り知ることができない。 (36:26)
エリフは続けてこう言いました。
神は、御声で驚くほどに雷鳴をとどろかせ、私たちの知りえない大きなことをされる。 (37:5)
最後に、エリフはこう言いました。
神に何と言うべきかを私たちに教えよ。やみのために、私たちのことばを並べることができない。
私が語りたいと、神にどうして伝えられようか。人が尋ねるなら、必ず彼は滅ぼされる。
今、雨雲の中に輝いている光を見ることはできない。しかし、風が吹き去るとこれをきよめる。(37:19ー21)
つまり、「あなたは神様と弁論したいのですか?あなたの理解はあまりに小さく、曖昧であるため、良い弁論をすることはできません。神様の知恵と知識は、あなたの理解をはるかに凌ぎます。神様の聖さも、あなたの清さをはるかに凌ぎます。」
では、私たちは何を学ぶべきでしょうか。神様の正義を疑問視することは、私たちの傲慢さを表しています。神様と比べると、私たちはほとんど何も知らないのです。
さらに、私たちは罪深い存在であり、どうして私たちが神様の正義を疑問視することができるでしょうか。私たちは神様に答えを要求する立場にはないのです。
それでは、私たちが疑問を抱いたとき、どうすればよいのでしょうか。たとえ難しくても、私たちはその疑問を一旦置いておき、神様を信じるべきです。
神様の善良な性質を信じ、神様の正義を信じ、神様の知恵を信じるのです。そうするならば、神様は私たちの信仰に報いてくださるでしょう。
エリフが言ったように、
私たちが見つけることのできない全能者は、力とさばきにすぐれた方。義に富み、苦しめることをしない。
だから、人々は神を恐れなければならない。神は心のこざかしい者を決して顧みない。(ヨブ記37:23-24)
