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ヨシュア記

家族が救われるには

ヨシュア記2章

私はクリスチャンホームで育ったことを、心から感謝しています。 父が亡くなった時、彼が天に召されたという確信が、私たち家族に慰めと平安を与えてくれました。

けれども、多くの人々には、家族に対してそのような平安がありません。 だからこそ、彼らは家族の救いのために祈るのです。

それは、まさにラハブの願いでもありました。 ラハブは、イスラエルがエリコを攻撃することを知っていたので、 イスラエルの斥候たちにこう願いました――「どうか、私と私の家族を生かしてください。」

すると、その斥候たちは答えました。

その人たちは彼女に言った。「あなたが私たちに誓わせたこのあなたの誓いから、私たちは解かれる。

私たちが、この地に入って来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。

あなたの家の戸口から外へ出る者があれば、その血はその者自身のこうべに帰する。私たちは誓いから解かれる。

しかし、あなたといっしょに家の中にいる者に手をかけるなら、その血は私たちのこうべに帰する。(ヨシュア記2:17-19)

斥候たちは、ラハブとその家族のために救いの方法を備えました。 赤い紐をラハブの家の窓に結びつけておく必要がありました。 イスラエルが攻撃してくる時には、ラハブとその家族は家の中にとどまっていなければなりませんでした。

神様もまた、私たちの救いのための方法を備えてくださいました。 私たちがクリスチャンとなる時、神様は聖霊によって証印を押してくださいます(エペソ1章13節)。

しかし、私たちが家族も救われてほしいと願うなら、彼らにもその証印が必要です。 他に方法はありません。

ラハブの家族が救われるためには、ラハブが備えられた方法について彼らに語る必要がありました。 私たちもまた、同じようにしなければなりません。 家族に何も語らずに、ただ祈るだけでは十分ではないのです。

私たちが自分自身の救いの中にとどまり、ただ家族の救いを願うだけではいけません。 私たちは口を開き、福音を語る必要があるのです。

ラハブがそうしたからこそ、その家族は救われたのです。

あなたはどうでしょうか。 あなたの家族にとって、イエス様を知っている唯一の存在は、もしかするとあなたかもしれません。 あなたは、彼らにイエス様のことを伝えますか。 彼らを神様の家へと導きますか。

それとも、沈黙したまま、彼らを神様から離れたまま死なせてしまいますか。

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。

聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。

宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。(ローマ10:13ー14)

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