私たちは未来に直面するとき、 何が起こるのか、よく分かりません。 だから、未来を楽しみに感じることもあれば、 時には不安や恐れを抱くこともあります。
イスラエルの民がヨルダン川を渡り、 神様が約束された地に入ろうとしていたときも、 同じような思いを抱いていたかもしれません。
長い旅路を経て、ようやくその地にたどり着いた―― その喜びは計り知れなかったことでしょう。
けれども同時に、未知の地に足を踏み入れる不安や、 これから直面するであろう戦いや課題への 心配もあったはずです。
だから、ヨシュアはイスラエルの民に語りました。
あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。。。
それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。(ヨシュア記3:3ー4)
そして、ヨシュアはこう言いました。
あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行われるから。(5)
神様は、今日の私たちにも同じことを語っておられます。 契約の箱は、神の臨在を象徴するものでした。 そして、神様がイスラエルの民に「私について来なさい」と命じられたように、 今も私たちに、「私に従いなさい」と招いておられるのです。
当時、イスラエルの民は 何をすべきか、どこへ行くべきか、よく分かっていませんでした。 しかし、神様はすべてをご存知でした。
同じように、私たちが未来に直面するとき、 何が最善の選択なのか、自分に何が求められているのか―― はっきりと見えないことがあります。 けれども、神様はすべてをご存知です。 だからこそ、私たちにこう言われるのです。 「私について来なさい。」
さらに神様は、イスラエルの民に「身を清めなさい」と命じられました。 これは単に体を整えることではなく、 神のために自らを聖別するということです。
彼らが心を整え、自らを神にささげたとき、 神様は驚くべきみわざを行うと約束されました。
神様は、私たちにも同じことを語っておられます。 私たちは、神のために自らを聖別するべきなのです。 自分自身のものではないことを、思い出しましょう。
イエス様は、ご自身の血によって私たちを贖われました。 ですから、私たちはイエス様に属しているのです。 そして、私たちが自分の人生を神様にささげるとき、 神様は驚くべきみわざを行われます。
さらに、神様はもう一つのことを命じられました。 イスラエルの民がヨルダン川を渡るとき、 神様は川の流れをせき止められました。
その後、神様はこう命じられました。
「ヨルダン川の中から十二の石を取り、 今夜宿泊する場所に置きなさい。 そして、あなたの子どもたちが 『この石は何ですか』と尋ねたとき、 私があなたたちのために何をしたかを語りなさい。」
このことは、私たちにも教えています。 神様が私たちを試練から救い出してくださったとき、 その証しを記録に残しておくのは良いことです。
日記に記すことや、ブログに書くことも役に立つかもしれません。 大切なのは、「記録を作ること」です。
そうすれば、 見えない未来に直面しても恐れることなく、 神様が再び救い出してくださるという確信を 持ち続けることができるのです。
あなたは、未来を前にしたとき、 恐れの目で見つめるでしょうか。 それとも、信仰の目で見つめるでしょうか。
