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ヨシュア記

誰が誰の味方なのか

ヨシュア記5:13ー15

去年、アメリカではティム・ティーボウという人物が注目を集めました。 彼はアメリカン・フットボールのクォーターバックです。

通常、クォーターバックには優れたリーダーシップと正確なパス能力が求められますが、 ティーボウはリーダーシップには定評があるものの、パスはあまり得意ではありません。

それにもかかわらず、彼のチームは6連勝を記録し、 多くの人々を驚かせました。

彼が有名になったもう一つの理由は、 彼がクリスチャンであり、自分の信仰を公然と語ることにあります。 インタビューのたびに、彼は神様を賛美し、感謝を表します。 そのため、時には批判も受けるのです。

つまり、「彼は神様が自分に試合の勝利を与えてくださると本気で思っているのか」と、人々は問いかけるのです。

けれども、彼はそのようなことは口にしません。 実際、私自身は、神様がどのチームを勝たせるかには、あまり関心がないと感じています。 (とはいえ、時々、自分の好きなチームのために祈ることもありますけれどね。)😊

おそらく、ティーボウが伝えたいのはこういうことではないでしょうか。 「神様が私の味方であるというよりも、私は神様の味方でありたい。」

まさにこのことを、ヨシュアも学ばなければなりませんでした。

ある日、ヨシュアは見知らぬ人物を見かけました。 そこで、彼はこう尋ねました。

あなたは私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。(ヨシュア記5:13)

しかし、その人はこのように答えられました。

いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。(14)

多くの学者は、その見知らぬ人物がイエス様ご自身であると信じています。 そこで、その方はこう言われました。

あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。(15)

ヨシュアは、その方の語った言葉に従い、 神様の戒めを民に伝えました。

私たちはよくこう問いかけます。 「神様は私の味方でしょうか。」

確かに、それは良い問いかもしれません。 聖書には、「私はあなたの味方だ」という神様の言葉がたびたび記されています。 けれども、もしかすると、 こう問いかけるほうが、もっと大切かもしれません。

「私は神様の味方なのだろうか。」

つまり、私たちは神様の御言葉に従って歩んでいるでしょうか。

これこそが、主の軍の将がヨシュアに示した本質でした。 重要なのは、神様がヨシュアの味方かどうかではなく、 ヨシュアが神様の側に立っているかどうかです。

ヨシュアは、神様の前に柔らかな心を持ち、 神様に従う者として整えられました。 だからこそ、神様は彼を力強く用いることができたのです。

それは、私たちにも言えることです。

あなたは、どうでしょうか。 あなたは、誰の味方についているのでしょうか。

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