この話を何度も読んできましたが、今回は特に印象に残ったのは最後の部分です。 エリコを滅ぼした後で、ヨシュアはこの呪いのことばを語りました。
この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。
その礎を据える者は長子を失い。その門を建てる者は末の子を失う。(ヨシュア記6:26)
何年か後に、ある人がエリコを建て直そうとした時、 ヨシュアが語ったとおり、その人は呪われました(列王記第一16:34)。
なぜヨシュアはこの呪いを語ったのでしょうか。 おそらく、エリコが悪の象徴であったからです。
エリコの中では、売春や子どものいけにえ、偶像礼拝が行われていました。 神様がイスラエルの民にその地の住民を攻め取り、 その地を得るよう命じられた理由の一つは、 その悪を取り除くことにありました。
だからこそ、ヨシュアはこう言ったのです。 「この悪は決して戻ってはならない。 もし誰かがこれを建て直すならば、 神様はその人を呪われるだろう。」
では、私たちはどうでしょうか。 私たちの人生の中で、 一度壊されたはずの悪を再び建て直してはいないでしょうか。
聖書はこう教えています。 私たちがキリストを信じる者となるとき、 「古い人」――つまり、かつての考え方や生き方――は キリストとともに十字架につけられたのです。
ですから、私たちはもはや罪の奴隷ではありません(ローマ6:6)。
しかし、私たちがわざと罪を犯すことを選ぶなら、それは古い人をよみがえらせることになります。
その結果として、罪は私たちを滅ぼします。もちろん、それは私たちの魂を滅ぼすのではありません。 神様はすでに私たちを救ってくださったからです。
とはいえ、罪はこの世において、 私たちの人生を滅ぼしうるのです。 結婚を滅ぼし、人間関係を壊し、評判を台無しにし、私たちが大切にしているすべてのものを 打ち砕いてしまう可能性があるのです。
その意味で、罪深い生活を再び建て直そうとする者は、「呪われた」と言えるかもしれません。
だから、パウロはこう書きました。
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(ローマ6:11-14)
あなたはどうでしょうか。あなたの人生の中で、罪を建て直しているでしょうか。 それとも、罪をそのままにし、キリストのために生きているでしょうか。
