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士師記

もったいない

士師記14ー16章

「彼の才能はすごかったのに、もったいないことをしました。」

どれほど、私たちはそのような言葉を耳にするのでしょうか。スポーツ選手に関してよく聞きます。選手の才能は本当にすごいですが、プライドがありすぎたり、怠けたりするため、その可能性を十分に発揮できないことがあります。

多分、毎日あなたは人に会って、「彼は本当にすごい才能があるのに、なぜもっと努力しないのだろうか」と思うことがあるでしょう。

サムソンの話を読むときに、私はそう思います。神様は彼のためにすごい計画があったのに、彼はその計画を十分に果たすことができませんでした。

彼は生まれる前に神様に聖別され、ナジル人として育てられて、神様に仕えるように訓練されました。けれども、大部分、彼は自分の人生を無駄にしてしまったのです。

神様が彼を用いたときも、それはサムソンの意図ではありませんでした。つまり、サムソンを通して神様の恵みによって、イスラエル人はペリシテ人からある程度救われました。

しかし、それはサムソンの都合によるものであり、時にはサムソンの行動にもかかわらず、イスラエル人は救われたのです。

サムソンの問題は何だったのでしょうか。一番大きな問題は、サムソンが神様の働きに聖別されていたにもかかわらず、彼は神様中心ではなく自己中心でした。

彼は、神様にどうやって仕えるかを考えるよりも、どうやって自分に仕えるかを考えていました。

士師記を読むと、サムソンが神様のアドバイスを求める姿を全く見かけません。サムソンは神様に復讐のための力を求めましたが、神様の導きを求めることは全くありませんでした。

彼の人生にはそのパターンがよく見られます。彼の最初の事件は、ペリシテの女性と結婚することでした。

神様がイスラエル人にカナン人と結婚してはならないと命じられたにもかかわらず、サムソンはその命令を無視し、両親の言葉をも無視して、ペリシテ人(カナン人の一派)と結婚しました。

それでも、士師記14章4節で、これが主によることだと書かれています。それはどういう意味でしょうか。少し矛盾しているように感じます。

おそらく、サムソンが誰の言うことも聞かずにそのペリシテ人と結婚したかったので、神様はその状況を用いようとされたのでしょう。

神様は私たちに何かを無理に強いられることはありませんが、時にはご自身の目的のために、私たちの悪い決断を用いられます。

サムソンは自分の理由でそのペリシテ人と結婚しましたが、神様はその状況をご自身の目的のために用いられました。 このような意味で、それは神様によることでした。

そして、サムソンを通して、神様はイスラエル人をペリシテ人から救われました。

とはいえ、サムソンの動機は、神様を喜ばせたいというものではありませんでした。彼の主な関心はイスラエル人ではありませんでした。

むしろ、何度も、彼の動機は復讐でした。何度も、その言葉が出てきます。

もし、彼の動機が、神様を喜ばせることや、イスラエル人を愛していることだったら、良かったのです。

しかし、彼はそのことを気にせず、また、神様からの召しも気にしませんでした。

さらに2つの事件で、その態度が見られます。

ある日、サムソンは死んだライオンを見つけました。神様はナジル人に死体に近づかないよう命じられましたが、サムソンは近づいて、そのライオンの死体からはちみつを取って食べました。(士師記14:8-9)

そして、デリラというペリシテ人と関係を持ち、彼は彼女にどのように自分の誓約を破るか教えました。つまり、彼の髪の毛を切れば、それは誓約を破ることになるということです。

デリラはサムソンを裏切り、髪の毛を切りました。その結果、サムソンの神様からの力がなくなり、ペリシテ人は彼を捕え、目をえぐり出し、サムソンはペリシテ人の奴隷となりました。

それでもなお、イスラエル人を助けるために、神様は再びサムソンを用い、三千人のペリシテ人を殺されました。けれども、サムソンの動機は何でしたか。彼の最後の言葉はこうです。

神、主よ。どうぞ、私を御心に留めてください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。(士師記16:28)

サムソンは、多くのことを成し遂げました。20年間ほどイスラエル人を助けました。

けれども、彼は自己中心であり、神様からの召しを真剣に受け止めなかったため、彼の可能性を十分に発揮しませんでした。

あなたはどうでしょうか。神様は、あなたを神の国のために用いたいと望んでおられます。神様はあなたが周りの人々に影響を与えることを望んでおられます。

神様は天国であなたに会う時に「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言われるでしょうか。

それとも、「あなたの人生はもったいなかった」と言われるでしょうか?

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