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士師記

偽者の礼拝

士師記17-18章

この士師記の最後の5章はエピローグです。その箇所の話は、おそらくヨシュアが少し前に亡くなった後に起こりました。なぜなら、アロンの孫ピネハスは、まだ大祭司だったからです。

この二つの話は、かなりショッキングです。この二つの話を一言でまとめたいなら、17章6節と21章25節を読んでください。つまり、

そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。

この箇所では、ある人とその家族が自分の目に正しいと見えることによって神様を礼拝する姿が描かれています。

ミカという人は、母から銀を盗みましたが、後で告白して、その銀を戻しました。それは良いことでした。

そして、その母はその銀を主に捧げました。どのように捧げたのでしょうか。その母は彫像と鋳像を作るためにミカに銀をあげました。

しかし、神様は十戒、すなわち第一戒と第二戒において、それを禁じておられます。

どうして、その母が「私は神様に捧げる」と言いながら「彫像と鋳像を作りましょう」と言えるのか私は理解できません。

おそらく彼女は、「この鋳像を作るけれど、ヤハウェ(つまり、神様の名前)と名づける」と思ったのかもしれません。

しかし、神様が命じられた通りに礼拝せず、自分が正しいと思う方法で礼拝したのです。

ミカは、その彫像と鋳像を作り、礼拝し始めました。

そして、ある日、レビ人が訪れました。レビ人たちは幕屋(神殿のようなものです)で神様に仕える人たちでした。そして、ミカは言いました。

私といっしょに住んで、私のために父となり、また祭司となってください。あなたに毎年、銀十枚と、衣服ひとそろいと、あなたの生活費をあげます。(10)

私は信じられませんが、そのレビ人は同意しました。その人は神様の戒めをよく知っていたのに、お金のために背を向けました。

そして、18章で、ダン人の部族は、その彫像を礼拝し始めました。

私たちは何を学べるでしょうか。ミカとその母は自分が正しいと思ったことをしました。神様の彫像に関する戒めをよく知らなかったかもしれません。もしくは、その戒めを無視したのでしょう。

いずれにせよ、彼らはその行動によって神様の祝福を得ると思っていました。ダン人たちも同じように考えました。

けれども、神様はそのような礼拝をお受けになりません。イエス様はこう言われました。

 しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。(ヨハネ4:23-24)

つまり、礼拝する時に熱心さは大切ですが、神様の目にはそれだけでは足りません。あなたの礼拝は神様の真理によるべきです。

神様が自分を現されたように礼拝するべきですし、神様が命じられる通りに礼拝するべきです。けれども、神様の言葉を知らなければ、それはできません。また、もし神様の言葉に従わなければ、神様を喜ばせることはできません。

あなたはどうでしょうか。神様が自分を現されたように礼拝しているでしょうか。それとも、自分の偽のイメージを作って礼拝しているでしょうか。

神様が命じられる通りに礼拝しているでしょうか。それとも、自分が正しいと思う通りに礼拝しているでしょうか。

神様を霊と真によって礼拝しましょう。

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