カテゴリー
サムエル記第一

神様を敬うこと、神様をさげすむこと

サムエル記第一2章

これは二つのタイプの人々についての話です。二人は神様を敬いました(ハンナとサムエル)。三人は神様を侮りました(エリとその息子たち)。

この箇所の初めで、ハンナは神様をその御業のために賛美しました。その歌の中で、ハンナは神様が謙遜な人々を助け、神様に従う人々を支えてくださることについて歌いました。そして、ハンナはこう歌いました。

主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。(サムエル記第一2:2)

けれども、ハンナはこれも歌いました。

高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。(3)

エリの息子たちは本当に高慢でした。彼らは神様から盗むような行為をしていました。つまり、いけにえを捧げる際に、本来脂肪を神様に捧げなければならないにもかかわらず、人々がそれをしようとした時に彼らを脅したのです。

それだけではなく、彼らは天幕で働いている女たちと関係を持ち、自分自身をもその女たちをも汚しました。

彼らは、神様がその行動を知らないと思っていたのかもしれません。

しかし、彼らはおそらく神様を全く気にしていませんでした。彼らは神様を聖なる方として認めず、敬意を払おうとしませんでした。

それにもかかわらず、神様は彼らのすべての行動を知っておられ、それを正しく計り、彼らを裁かれました。

エリの問題は、彼がその息子たちを神様より重んじていたことです。エリは息子たちの行動をよく知っていましたが、弱いしつけしか行わず、彼らの行動を止めませんでした。

なぜ彼がそうしたのか、私には分かりません。エリは息子たちの祭司としての立場を取り上げるべきでした。けれども、エリがそれをしなかったため、神様はエリ自身も裁かれました。

一方で、サムエルは神様を敬い、神様と周囲の人々から称賛を受けました。26節にはこのように記されています。

一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。

私たちはこの話から何を学べるでしょうか。

神様は聖なる方であり、正しい方です。もし私たちがそれを認めず、神様について考えずに、自分の欲望のままに生きるならば、私たちは神様を侮ることになります。

神様はそのような生き方を永遠に認めることはありません。神様は必ずそれを裁かれます。

しかし、もし私たちが神様を敬うならば、神様も私たちを尊んでくださいます。ある預言者がエリにこのように言いました。

わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。(30)

あなたはどうですか。あなたの言葉だけでなく、あなたの行動によって神様を敬うでしょうか。神様の言葉を聞き、それに従うでしょうか。

それとも、あなたは神様が何も知らないかのように生きるでしょうか。

あなたは他の人や物を神様よりも重んじるでしょうか。

神様はあなたの態度と行動を見て、正しく計り、いつか裁かれます。

神様はあなたをご覧になるとき、何をご覧になるでしょうか。神様を敬う方をご覧になるでしょうか。それとも、神様を侮る方をご覧になるでしょうか。

コメントを残す