これは二つのタイプの人々についての話です。二人は神様を敬いました(ハンナとサムエル)。三人は神様を侮りました(エリとその息子たち)。
この箇所の初めで、ハンナは神様をその御業のために賛美しました。その歌の中で、ハンナは神様が謙遜な人々を助け、神様に従う人々を支えてくださることについて歌いました。そして、ハンナはこう歌いました。
主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。(サムエル記第一2:2)
けれども、ハンナはこれも歌いました。
高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。(3)
エリの息子たちは本当に高慢でした。彼らは神様から盗むような行為をしていました。つまり、いけにえを捧げる際に、本来脂肪を神様に捧げなければならないにもかかわらず、人々がそれをしようとした時に彼らを脅したのです。
それだけではなく、彼らは天幕で働いている女たちと関係を持ち、自分自身をもその女たちをも汚しました。
彼らは、神様がその行動を知らないと思っていたのかもしれません。
しかし、彼らはおそらく神様を全く気にしていませんでした。彼らは神様を聖なる方として認めず、敬意を払おうとしませんでした。
それにもかかわらず、神様は彼らのすべての行動を知っておられ、それを正しく計り、彼らを裁かれました。
エリの問題は、彼がその息子たちを神様より重んじていたことです。エリは息子たちの行動をよく知っていましたが、弱いしつけしか行わず、彼らの行動を止めませんでした。
なぜ彼がそうしたのか、私には分かりません。エリは息子たちの祭司としての立場を取り上げるべきでした。けれども、エリがそれをしなかったため、神様はエリ自身も裁かれました。
一方で、サムエルは神様を敬い、神様と周囲の人々から称賛を受けました。26節にはこのように記されています。
一方、少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。
私たちはこの話から何を学べるでしょうか。
神様は聖なる方であり、正しい方です。もし私たちがそれを認めず、神様について考えずに、自分の欲望のままに生きるならば、私たちは神様を侮ることになります。
神様はそのような生き方を永遠に認めることはありません。神様は必ずそれを裁かれます。
しかし、もし私たちが神様を敬うならば、神様も私たちを尊んでくださいます。ある預言者がエリにこのように言いました。
わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。(30)
あなたはどうですか。あなたの言葉だけでなく、あなたの行動によって神様を敬うでしょうか。神様の言葉を聞き、それに従うでしょうか。
それとも、あなたは神様が何も知らないかのように生きるでしょうか。
あなたは他の人や物を神様よりも重んじるでしょうか。
神様はあなたの態度と行動を見て、正しく計り、いつか裁かれます。
神様はあなたをご覧になるとき、何をご覧になるでしょうか。神様を敬う方をご覧になるでしょうか。それとも、神様を侮る方をご覧になるでしょうか。
