私は神様の声をよく聞くし、はっきりと聞くと言いたいですが、言うことができません。多くの場合、私は昔のイスラエル人のように感じます。つまり、
そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。(サムエル記第一3:1)
私は幻を見たことがありません。時々、神様からの夢を見たのではないかと思うことがありますが、確信が持てません。
確信を持って、神様が私に話してくださったことがあると言えますが、そのような経験をもっと欲しいと思います。
時々、私は「神様がサムエルと話してくださったように、私とも話してくださればよいのに」と思います。けれども、もし神様が私に話してくださるなら、私はそれをちゃんと聞くでしょうか。
サムエルの時代、多分神様はイスラエル人に語りかけたいと思われましたが、誰も聞きたがらなかったのかもしれません。それとも、彼らは無関心だったのでしょうか。
多くの場合、彼らはすでに命じられたことに従わなかったので、そのような人々には神様は多くを語られませんでした。
私はどうでしょうか。私は無関心なのでしょうか。神様がすでに言われたことに従わないのでしょうか。
私はサムエルのようになりたいです。神様がサムエルを呼ばれたとき、サムエルは応えました。
お話ください。しもべは聞いております (10)。
私が神様から聞いたなら、そのメッセージが相手にとって聞きづらいものであっても、サムエルのように忠実に伝えたいと思います。
サムエルのように、神様の言葉を聞いて、周囲の人々に伝える際に、その言葉が地に落ちることがないようにと祈ります。
サムエルが神様の言葉を伝えたとき、その言葉は決してむなしくなることがありませんでした。神様がサムエルに「これとこれが起こる」と言われたとき、いつもその通りに起こりました。
そのように、神様の言葉が私の人生においてむなしいものにならないように祈ります。神様の言葉が力をもって私の人生に入り、それによって私だけでなく、周囲の人々をも変えることを願います。
しかし、それを期待するならば、私は無関心な態度を捨てなくてはなりません。
サムエルのように、私は神様を求めるべきです。神様が辛いことを言われても、私は聞く耳を持たなくてはなりません。神様の言葉に従いたくなくても、神様が語られることに従うべきです。
そうしなければ、イスラエルのようになり、神様の声をめったに聞かなくなります。
神様、私があなたの声を聞くことを教えてください。
私は何度も、自分の心をあなたの声に対して硬くしてしまいました。私はしばしば自分の耳をあなたの声に対して閉じてしまいました。私はよく無関心で、あなたを心から求めませんでした。
どうかお赦しください。私を変えてください。
私の心の中に、あなたの言葉が地に落ちないようにしてください。むしろ、私を変えてくださり、私を通して私の周りの世界を変えてください。アーメン。
