これは少し可笑しい話ですが、ペリシテ人にとってはまったく可笑しくありませんでした。彼らは主の箱を奪った後、自分たちの神であるダゴンの宮に持ち込み、その偶像の隣に置きました。
翌日、ダゴンは主の箱の前で地にうつ伏せになって倒れていました。彼らはダゴンを元の場所に戻しましたが、次の日、もう一度ダゴンは倒れていました。そして、ダゴンの頭と腕は切り離されてしまったのです。
さらに、すべてのペリシテ人は腫物に打たれ、恐怖に襲われました。
彼らはその主の箱を別の都市に移しましたが、どこに運んでも腫物と死が続きました。
最終的に、リーダーたちは祭司や占い師と相談しました。祭司たちはこう答えました。
「パロのようにならないでください。頑固になってはいけません。その箱をイスラエル人に戻しましょう。そうしなければ、私たちはエジプト人のように滅ぼされます。」
この話のポイントは何でしょうか?その答えはイザヤ書に記されています。神様はこう言われました。
わたしが自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い(ます)。(イザヤ書45:3)
新約聖書には、パウロはその言葉をイエス様に適用しました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:9-11)
いつか、すべての人々は神様の前に跪きます。そして、すべての人々が「あなたは神様です」と認めるでしょう。しかし、その日、あなたの心と態度はどうでしょうか。
あなたは、私たちを贖った救い主を愛を持って仰ぐでしょうか。それとも、手を握りしめ、歯を食いしばりながら「イエス・キリストは主です」と認めることになるでしょうか。
私はあなたを怖がらせるつもりはありません。神様はすべての人々を救いたいと望んでおられます。神様はあなたが神様を知り、神様と親しい関係を築くことを望んでおられます。そして、あなたが愛によって神様に従うことを願っています。
ただし、神様はあなたに従うことを強制されません。もしあなたが従うことを望まないなら、その決断を一時的に許されるでしょう。
しかし、従いたいと思っても、従いたくないと思っても、いつか、あなたは神様の前に跪いて「イエス様は主です」と認める日が来ます。
その日、あなたの心と態度はどうでしょうか。
