「皆持っているよ。」 「皆しているよ。」
子供たちは何か欲しいとき、または何かをしたいときに、こういった言葉を理由としてよく使います。
どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。(サムエル記第一8:5)
そして、サムエルは神様からの警告をイスラエルに告げました。それは、王を持つことで何が起こるかという警告でした。
それにもかかわらず、イスラエル人はこう言いました。
いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。
私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。 (19-20)
だから、神様は彼らに王を与えました。けれども、イスラエル人は後にその決断を後悔したかもしれません。
時々、彼らには良い王がいましたが、ほとんどの場合、悪い王がいました。たとえ良い王であっても(例えばダビデ)、その王が時々悪い行いをしてイスラエルを傷つけました。
彼らは他の国々の手本に従うのではなく、神様に従った方が良かったのです。彼らはそうしなかったため、大きな代価を払うことになりました。
あなたは誰の手本を模倣しようとしていますか。
周りの人々の手本を模倣していますか。タレントや有名人の手本を模倣していますか。あなたの隣人や友達の手本を模倣していますか。それとも、あなたは神様に従っていますか。
ロールモデルを持つことは悪いことなのでしょうか。そうではありません。誰もがロールモデルを必要とします。しかし、二つのことに気をつけなければなりません。
一つ目は、私たちのロールモデルが神様に従っていることであるということです。
私たちのロールモデルはイエス様の手本を模倣しているでしょうか。もし彼らがそうしていないなら、私たちは彼らの過ちを模倣してしまうかもしれません。
二つ目のポイントは、どんなに素晴らしいロールモデルでも、その人が完全ではないということです。彼らも失敗しますし、悪いことをすることもあります。
だからこそ、私たちは彼らの人生の中で何を模倣するかを慎重に選ばなければなりません。
パウロはそのことを理解していたので、このように書きました。
私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(第一コリント11:1)
つまり、「私が神様に従う限り、私の手本を模倣しなさい。」
私たちは誰の人生を模倣していますか。イスラエル人は周りの国々を模倣していました。けれども、その国々が神様に従っていなかったために、イスラエル人は罪に落ちて、ついには亡命することになりました。
私たちも気をつけなければなりません。他の人々の手本に従うことで、罪に陥るかもしれませんし、神様から遠ざかることになるかもしれません。
だからこそ、私たちを愛してくださる神様に従うべきではないでしょうか。パウロはこのように書きました。
ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ5:1-2)
