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サムエル記第一

信仰のある人、恐れている人々

サムエル記第一17章

聖書の中で、これは最も有名な話の一つです。私はおそらく100回以上読んだことがあります。けれども、今回印象に残ったことは、信仰のある人と恐れる人の違いです。

再び、ペリシテ人はイスラエル人と戦う準備をしていました。

そして、一人のペリシテ人であるゴリアテが、イスラエルの軍隊に一対一の戦いを挑みました。

もしイスラエル人の一人がゴリアテと戦って彼を殺せば、ペリシテ人全員がイスラエルの奴隷になる。

けれども、ゴリアテがイスラエル人の代表を殺した場合、イスラエル人全員がペリシテ人の奴隷になるというものでした。

この条件を聞いたとき、サウルとその民は恐れました。

しかし、そこに信仰のある人が現れました。それはダビデです。

恐れる人々が信仰のある人を見たとき、彼らがどのように反応したかは興味深いです。

1.怒り。

ダビデはゴリアテのチャレンジを聞くと、こう言いました。

このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。

この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。(サムエル記第一17:26)

ダビデの兄エリアブは、その言葉を聞くと、こう答えました。

いったいおまえはなぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。

私には、おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう。(28節)

どうしてエリアブはそんなに怒ったのでしょうか。多分、ダビデの言葉がエリアブの恐れを表したからです。

エリアブは、「私は戦った方がいい」と思ったかもしれませんが、彼の恐れによって行動に移しませんでした。だから、彼の弟が来たときに、エリアブはその信仰深い言葉を聞いて恥を感じたのでしょう。

私たちもどれほど、そのように反応するでしょうか。困難な状況に直面して信仰を持たずに恐れます。そして、信仰のある人を見たときに怒り、その人を攻撃してしまうのです。

2.失望。

サウルは、誰かがゴリアテと戦いたいと言ったと聞いたとき、おそらく喜んだでしょう。

おそらく、イスラエル人全員がサウルがゴリアテと戦うことを期待していたでしょう。なぜなら、イスラエル人の中でサウルは最も背が高かったからです。

ところが、サウル自身も恐れていました。そのため、その知らせを聞いたとき、彼はすぐにダビデを呼びました。

けれども、サウルがダビデを見たとき、おそらくとてもがっかりしたことでしょう。「この若者が……この若者がゴリアテと戦えるのだろうか。」

サウルは失望し、ダビデをがっかりさせようと思ったのです。そして、彼はこう言いました。

あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。(33節)

どれほど私たちはサウルのように反応するでしょうか。あなたは自分の恐れによってがっかりし、他の人々が信仰によって歩むのをやめるように説得しようとするでしょうか。

しかし、ダビデはどのように反応したのでしょうか。兄の怒りとサウルの恐れがダビデに影響を与えることを許しませんでした。むしろ、彼は神様に100%信頼しました。

どうして彼は神様に信頼することができたのでしょうか。それは、神様が過去に何をしてくださったかを思い出したからです。熊と獅子がダビデの羊を攻撃したとき、神様がダビデを助けてくださったことを思い出したのです。

それゆえ、ダビデはこう言いました。

獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。(37節)

ダビデは状況をあまり気にしませんでした。なぜなら、神様がその状況よりも大きいと知っていたからです。そして、神様の助けによって、ダビデはゴリアテを殺し、イスラエルに勝利を与えました。

残念なことに、サウルはそれを決して学びませんでした。それは13章でも見られます。サウルの民の恐れがサウルに影響を与え、彼はパニックに陥り、罪を犯してしまったのです。

あなたはどうでしょうか。あなたは信仰のある人ですか、それとも恐れる人ですか。

困難な時に直面したとき、どのように反応しますか。信仰によって反応しますか、それとも恐れによって反応しますか。

ただ問題に焦点を当て、恐れに支配されるサウルやエリアブのようにならないようにしましょう。

むしろ、ダビデのように、私たちは神様に焦点を当てましょう。神様は私たちの問題よりも大きいからです。

神様が過去に私たちを救ってくださったことを思い出し、将来も私たちを助け続けてくださることを知って、神様に信頼しましょう。

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