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サムエル記第一

神様の懲らしめに反応する

サムエル記第一18章

懲らしめは決して楽しいものではありません。

私が若い頃、父は私の嘘を見抜き、こう言いました。「お前は、もう信頼できない。もし私に信頼してほしいなら、時間がかかるし、お前が本当のことを言わなくてはならない。」

それは辛い言葉でした。今でもその言葉をはっきりと覚えています。けれども、その言葉のおかげで私は変わり、最終的に父が私を信頼できるようになりました。

残念なことですが、サウルの神様の懲らしめに対する反応は良くありませんでした。

この箇所を読んだとき、私は祭司エリについても考えました。

神様は以前、エリも懲らしめました。それは、彼の息子たちが様々な悪事を行っていたにもかかわらず、エリが何もしなかったからです。

祭司として、そして父として、エリは自分の息子たちを懲らしめるべきでしたが、何もしませんでした。

そのため、神様は裁いてこう言われました。「あなたの息子たちは死ぬし、あなたの子孫が私の前で祭司として仕えない日が来る。」

エリは、それを聞いたとき怒りませんでした。神様に「あなたは不公平だ」と叫ぶこともありませんでした。むしろ、彼はこう言いました。

「その方は主だ。主がみこころにかなうことをなさいますように。(第一サムエル3:18)

それに、エリは子育てに失敗しましたが、サムエルをしっかりと教え育てました。

サムエルが神様から聞いたことを見たとき、エリは妬むことはありませんでした。神様がサムエルを祝福されたことを見ても、エリはサムエルを迫害することはありませんでした。むしろ、エリはサムエルにどうやって神様に応答するかを教えました。

そして、サムエルに責任をもって神様の言葉をしっかりと伝えることを教えました。神様の言葉が辛くても、サムエルに正直であり、また忠実にその言葉を伝えることを教えたのです。

サムエルはその教えを学び、立派な預言者となりました。

それでも、神様はエリを懲らしめました。そして、神様が言われた通り、ソロモンがエリの子孫を主の祭司の職から罷免しました。(列王記第二2:27)

それでも、エリは神様の懲らしめを受け入れ、出来る限り神様に仕え続けました。

サウルの反応は全く違いました。サウルは、神様の霊が自分を去り、ダビデと共にいることを見ました。そして、イスラエル人がサウルよりもダビデをほめたことや、ダビデが次の王になることを知ったのです。

その結果、サウルは恐れてダビデを殺そうとしました。自分の手、さらにはペリシテ人の手を使ってダビデを殺そうとしたのです。

けれども、結局殺すことができなかったため、サウルはさらに恐れるようになりました。

サウルは神様の懲らしめを受け入れなかったため、彼の人生は惨めなものとなりました。

サウルは悔い改めることもなく、できる限り神様に仕え続けることもしませんでした。むしろ、サウルは神様の決断に反抗し、持っているものを手放すことなく守り続けようとしました。

しかし、もしサウルがダビデを受け入れていたら、どうなっていたでしょうか。もしサウルが神様の決断に反抗せず、ダビデにこう言ったとしたら。

「私は失敗しました。だから、神様はあなたを選ばれたのです。私のミスから学んでください。」

そうしていたら、サウルの人生はどう変わっていたでしょうか。

おそらく、神様はもう一度サウルにサムエルを送られたでしょう。そして、サムエルは再びサウルと共に働いたかもしれません。神様が再びサウルと話し、働き続けられたかもしれません。

しかし、サウルは神様の懲らしめに反抗し続けたため、神様からさらに遠く離れてしまいました。

たとえ神様の懲らしめを受け入れたとしても、神様の決断が変わることはなかったかもしれません。けれども、神様ともっと親しい関係が築けていた可能性があります。

残念ながら、サウルはそれを選ばなかったため、惨めな人生を送ることとなったのです。

あなたはどうでしょうか。神様の懲らしめに対して、どのように反応するでしょうか。その懲らしめに反抗しますか。それとも、それを受け入れて、神様があなたを変えてくださることを許しますか。

神様が私たちを嫌いだから懲らしめられるのではないことを覚えていてください。むしろ、神様は私たちを愛し、私たちのベストを望んでおられるからこそ懲らしめてくださるのです。

ヘブル人への手紙の著者はこう書きました。

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。

また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。(ヘブル12:5-13)

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