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サムエル記第一

私たちが愛してる人々が間違っているとき

サムエル記第一19:1ー7

「私は人に面と向かうのは苦手です。」

それは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のジョージ・マクフライのセリフです。マーティがジョージに「どうしてビフがあなたをいじめるのを許すのか」と聞くと、ジョージはそう答えました。

私たちはそのセリフを笑うかもしれませんが、多くの人々(私も含めて)がその気持ちを理解できるかもしれません。

相手が間違っているときに、その人と話すのは非常に難しいものです。特に、その人のことを私たちが愛している場合は、さらに難しくなります。

ヨナタンも、そのような問題に直面しました。サウルはヨナタンに「ダビデを殺せ」と命じましたが、ダビデはヨナタンの親しい友人だったのです。

私たちが愛している人が間違っていたら、どうすれば良いでしょうか。時々、私たちは何もせずに、彼らがいつか自然に変わることを期待してしまいます。

また、時々私たちは彼らを無視したり、避けたりします。そしてこう考えます。「彼らは好きにすればいい。私は彼らに対処したくない。」

さらに時々、私たちは何も言わないまま怒りをため込み、最終的に感情が爆発してしまうことがあります。

けれども、そのような反応は適切ではありません。では、ヨナタンはどうしたのでしょうか。彼は父サウルと真正面から向き合ったのです。聖書にはこう書いてあります。

王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。かえって、彼のしたことは、あなたにとって非常な益となっています。

彼が自分のいのちをかけて、ペリシテ人を打ったので、主は大勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て、喜ばれました。

なぜ何の理由もなくダビデを殺し、罪のない者の血を流して、罪を犯そうとされるのですか。(サムエル記第一19:4-5)

ヨナタンがサウルと話したとき、彼は謙遜な態度を持ち、優しい言葉を使いました。私たちもそのようにするべきです。両親や子供、友人、同僚、上司と話す際には、ヨナタンの例に従うのが良いでしょう。

もちろん、親が子供を扱うときには、時に厳しい態度を取らなければならないこともあります。それでも、怒りではなく、愛を持った態度を取るべきです。

パウロは言いました。「真理を語りなさい。」

その責任から逃れることはできません。

とはいえ、「愛を持って、真理を語るべきです」(エペソ人への手紙4:15)。

ヨナタンは、そのように行動しました。

それでも、真理を伝えた後、人を無理やりその真理に従わせることはできません。

親としてはある程度それが可能かもしれませんが、他の場合にはそれは不可能です。最終的に、人々は自分自身で決断を下さなければならないのです。

最初、サウルはヨナタンの言葉に従いましたが、結局もう一度ダビデを殺そうとしました。そのため、ダビデは逃げざるを得ませんでした。

そのような場合、私たちにできることは祈ることだけです。神様だけがその人の心を変えることができるのです。

そして、もし彼らの行動があなたを傷つけるのであれば、自分自身を守らなければなりませんし、脅かされている人々も守る責任があります。

ヨナタンもそのようにしました。彼はダビデに警告し、父の手から守ったのです。

しかし、沈黙してはいけません。真理を語らなければなりません。愛を持ち、また謙遜な態度であっても、真理を語ることを避けてはならないのです。

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