「私は人に面と向かうのは苦手です。」
それは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のジョージ・マクフライのセリフです。マーティがジョージに「どうしてビフがあなたをいじめるのを許すのか」と聞くと、ジョージはそう答えました。
私たちはそのセリフを笑うかもしれませんが、多くの人々(私も含めて)がその気持ちを理解できるかもしれません。
相手が間違っているときに、その人と話すのは非常に難しいものです。特に、その人のことを私たちが愛している場合は、さらに難しくなります。
ヨナタンも、そのような問題に直面しました。サウルはヨナタンに「ダビデを殺せ」と命じましたが、ダビデはヨナタンの親しい友人だったのです。
私たちが愛している人が間違っていたら、どうすれば良いでしょうか。時々、私たちは何もせずに、彼らがいつか自然に変わることを期待してしまいます。
また、時々私たちは彼らを無視したり、避けたりします。そしてこう考えます。「彼らは好きにすればいい。私は彼らに対処したくない。」
さらに時々、私たちは何も言わないまま怒りをため込み、最終的に感情が爆発してしまうことがあります。
けれども、そのような反応は適切ではありません。では、ヨナタンはどうしたのでしょうか。彼は父サウルと真正面から向き合ったのです。聖書にはこう書いてあります。
王よ。あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。かえって、彼のしたことは、あなたにとって非常な益となっています。
彼が自分のいのちをかけて、ペリシテ人を打ったので、主は大勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て、喜ばれました。
なぜ何の理由もなくダビデを殺し、罪のない者の血を流して、罪を犯そうとされるのですか。(サムエル記第一19:4-5)
ヨナタンがサウルと話したとき、彼は謙遜な態度を持ち、優しい言葉を使いました。私たちもそのようにするべきです。両親や子供、友人、同僚、上司と話す際には、ヨナタンの例に従うのが良いでしょう。
もちろん、親が子供を扱うときには、時に厳しい態度を取らなければならないこともあります。それでも、怒りではなく、愛を持った態度を取るべきです。
パウロは言いました。「真理を語りなさい。」
その責任から逃れることはできません。
とはいえ、「愛を持って、真理を語るべきです」(エペソ人への手紙4:15)。
ヨナタンは、そのように行動しました。
それでも、真理を伝えた後、人を無理やりその真理に従わせることはできません。
親としてはある程度それが可能かもしれませんが、他の場合にはそれは不可能です。最終的に、人々は自分自身で決断を下さなければならないのです。
最初、サウルはヨナタンの言葉に従いましたが、結局もう一度ダビデを殺そうとしました。そのため、ダビデは逃げざるを得ませんでした。
そのような場合、私たちにできることは祈ることだけです。神様だけがその人の心を変えることができるのです。
そして、もし彼らの行動があなたを傷つけるのであれば、自分自身を守らなければなりませんし、脅かされている人々も守る責任があります。
ヨナタンもそのようにしました。彼はダビデに警告し、父の手から守ったのです。
しかし、沈黙してはいけません。真理を語らなければなりません。愛を持ち、また謙遜な態度であっても、真理を語ることを避けてはならないのです。
