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サムエル記第一 詩篇

神様の慈しみを思い起こす

サムエル記第一19:8ー24;詩篇59篇

「どうして、こんなことが起こっているの?神様、私を愛していないの?あなたはどこ?」

悪いことが起こったら、私たちはよくそのように反応します。もし、誰かがそのようなことを言う権利があれば、その人はダビデでした。彼は何も悪いことをしていなかったのに、サウルは彼を殺そうとしていました。

その状態の中で、ダビデはこの詩篇を書きました。

サウルが槍でダビデを殺そうとしたあとで、ダビデは逃げましたが、サウルはダビデの家にダビデを見張らせ殺すために、使者を遣わしました。けれども、ダビデの妻ミカルはダビデに警告して、彼が逃げることを助けました。

逃げながら、ダビデは詩篇59篇を書きました。

わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。

不法を行う者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください。

今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。主よ。それは私のそむきの罪のためでもなく、私の罪のためでもありません。

私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。どうか目をさまして、私を助けてください。どうか、見てください。(詩篇59:1-4)

つまり、「助けてください!」

けれども、ダビデは、これも書きました。

私の力、あなたは私を、見守ります。神は私のとりでです。

私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私の敵の敗北を見せてくださる。(詩篇59:9-10)

また、

しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。(詩篇59:16-17)

私にとって、印象に残っている言葉は、「私の恵みの神」ということです。英語では、「My loving God」、つまり、「私を愛している神」。

ダビデは大変な状態の中で、神様の愛と恵みを全然疑っていませんでした。むしろ、皆がダビデに反対する時に、ダビデは神様の愛に隠れて、安心しました。

問題に焦点を当てずに、ダビデは神様に焦点を当てていました。自分の状況について文句を言わずに、神様を礼拝しました。

そして、ヨナタンとミカルとサムエルを通して、神様はダビデを救い出してくださいました。

あなたはどうですか。全てが悪い時に、あなたはどうするでしょうか。神様の愛を疑いますか。神様の慈しみを疑うでしょうか。

もしくは、ダビデのように、神様のために待ち望むでしょうか。神様の愛に隠れて、礼拝するでしょうか。

神様が恵みの神であることと、神様があなたの先に行って導くことと、神様があなたを救ってくださることを心に留めておきましょう。

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