聖書で裏切りの話を考えるとき、多くの人はこの話を思い出さないでしょう。つまり、ケイラという町の人々がダビデを裏切ったことです。なぜなら、最終的にダビデは逃げ延びて助かったからです。
けれども、もし逃げていなかったら、ダビデはサウルに殺されていたかもしれません。
それでも、おそらくダビデとその民は傷ついたでしょう。
ペリシテ人からケイラ人を救うために命を危険にさらしたにもかかわらず、ケイラ人はダビデを助けませんでした。それどころか、サウルと戦うことを避け、ダビデをサウルに引き渡そうと決めたのです。
ダビデはこのことを知ると、すぐに彼とその民はケイラを離れました。その結果、サウルは諦めました。
裏切りに直面したとき、ダビデの例から何を学べるでしょうか。
一つ目は許しと理解です。理解によって私たちは許すことができます。
ダビデにはケイラ人に怒る権利がありました。彼とその民が命を危険にさらしてケイラ人を助けたにもかかわらず、ケイラ人はダビデとその民を助けませんでした。
それでも、ダビデは自分の怒りによってケイラ人に対して行動することはありませんでした。ダビデはケイラ人を責めず、むしろ彼らの状況を理解し、許しました。
ダビデは彼らがどうしてそのように反応したかを理解していました。つまり、ケイラ人は自分自身を守る力がありませんでした。
だから、ペリシテ人が攻めたときにはダビデの助けが必要でしたし、サウルとその軍隊が来たときには恐れ、結果としてダビデを裏切る決断をしたのです。
ある話を聞いたことがあります。ある人は子供の頃、父から虐待を受けていました。そのため、ずっと父を許すことができませんでした。
けれども、その人にとっての転機は、父もまた虐待を受けていたことを知ったときでした。父の傷を理解するようになったとき、その人は父を許すことができるようになったのです。
もしあなたが裏切られ、許すことができないのであれば、大切なことは「理解」を得られるよう祈ることです。
なぜなら、イエス様が祈られたように、私たちを傷つけた多くの人々は、実際に何をしたのか、また、どうしてそれをしたのかを知らないからです。
でも、二つ目に重要なことは、相手を理解し許すべきではあるけれど、危険な環境にとどまる必要はないということです。つまり、相手があなたを傷つけ続けるならば、距離を置くことも許されるということです。
ダビデはケイラ人の弱さを理解しました。そして彼らを許しました。それでも、彼らの裏切りを知ったとき、ダビデはすぐに逃げました。
時として、人々は許しについて誤解を抱きます。許しとは、相手が自分を傷つけることを許可することだと考える人もいます。
しかし、それは間違いです。許すべきですが、相手が悔い改めない場合や、さらに危険が伴う場合には、逃げることも選択肢に含まれます。
だからこそ、ダビデはケイラから、またサウルから逃げたのです。
あなたは裏切られたことがありますか。
神様は私たちに相手を理解しなさいと言われます。そして、相手を許しなさいとも言われます。
しかし、神様は相手の手による苦しみに耐え続けることを求められるわけではありません。
