本当の友達は神様からのギフトです。この箇所で、ダビデはそのことを本当に理解するようになったと思います。
もう一度、サウル王がダビデを追っていると聞いて、おそらくダビデは非常に疲れていたと思います。ダビデは砂漠を越えたり、洞穴に隠れたりしましたが、サウルは諦めませんでした。
ダビデは、「神様は、本当に私と共におられるでしょうか。サムエルは私がイスラエルの王になると言われたけど、どうだろう。もし、私が死んだら、それは無理だろう?」と思ったかもしれません。
しかし、この時にヨナタンはダビデを探しに行きました。
どうやって見つけたのでしょうか。ヨナタンはサウルとその軍隊と一緒にいながら、静かに出てダビデを見つけたのかもしれません。
もしくは、サウルがヨナタンがダビデを愛していることを知っていたので、ヨナタンを宮殿に残したのかもしれません。
私には分かりませんが、サウルができなかったことをヨナタンができました。つまり、ダビデを見つけたのです。
ヨナタンがダビデを見つけた時、ダビデが疲れ、落胆し、恐れていることが分かりました。だから、
ヨナタンは。。。神の御名によってダビデを力づけた。(サムエル記第一23:15)
ヨナタンはダビデにこう言いました。
恐れることはありません。私の父サウルの手があなたの身に及ぶことはないからです。
あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。私の父サウルもまた、そうなることを確かに知っているのです。(17節)
ヨナタンがダビデのためにしたことと同じように、私たちにも友達にしてほしいと神様はのぞんでおられます。エペソ4:29には、このように書いてあります。
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
「人の徳を養うのに役立つ言葉を話しなさい。」
私たちの言葉は人々の徳を養うでしょうか。それとも、私たちの言葉は人々を崩すでしょうか。
私たちはよく友だちをからかいますが、大抵は相手が傷つきません。それでも時々、その言葉が人の心を深く刺すことがあります。だからこそ、私たちが励ます言葉を使うべきだと思いませんか。
「必要な時に。」
その時、ダビデは本当にヨナタンの言葉が必要でした。私たちもヨナタンのように、他の人々を助けるべきです。
相手のニーズを見極め、神様に「この人には何を聞くことが必要でしょうか。あなたはこの人に何を言いたいと望んでおられるでしょうか」と祈るべきです。
「聞く人に恵みを与えなさい。」
あなたの言葉は人々に恵みを与えているでしょうか。あなたの言葉は、彼らを神様に近づけるギフトでしょうか。あなたの言葉によって、彼らは神様の恵みと働きを見ることができるでしょうか。
ヨナタンの言葉は、まさにそのようにダビデを励ましました。
人の徳を養うのに役立つ言葉。必要な時に。聞く人に恵みを与える言葉。あなたの口からは、どのような言葉が出るでしょうか。
