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サムエル記第一

神様は本当にそう言われただろうか

サムエル記第一24章

私たちは、神様の声を聞くことが難しいと感じることがよくあります。けれども、神様はさまざまな方法で私たちに語り、導いてくださいます。

時には、人々のアドバイスを通して私たちに語られることもあります。

時には、私たちの状況を通して神様は語りかけてくださり、良い機会を与えてくださることもあります。

例えば、ある日偶然、私は友達の会話を耳にしました。

彼が仕事を辞めてオーストラリアに引っ越す予定だと聞いた時、神様が「良い機会だよ。彼のポジションは空いているので、応募してみたらどうですか。」と言われました。

その結果、私は新しい仕事に就くことができました。

また、時にはポッドキャストや本を通して、神様が私たちに語られることもあります。

そして、時には神様がご自身の思いを私たちの心に与えてくださることもあります。

とはいえ、主に神様は聖書を通して私たちに語られるのです。

だから、もしあなたが神様が別の方法であなたに語られていると思うなら、必ずそのメッセージを聖書によって確認するべきです。神様のメッセージは聖書の言葉と矛盾することがないからです。

もし、あなたが聞いたメッセージが神のみ言葉と矛盾しているなら、そのメッセージは神様からのものではありません。

この箇所で、ダビデはそのような状況に直面しました。

ダビデとその民は洞穴に隠れ、恐れていました。そして、彼らはサウルとその民が洞穴の外にいるのを見て、おそらく「やばい。もうだめだ。私たちは死ぬ。どうしよう?」と思ったことでしょう。

けれども、サウルだけがその洞穴に近づいてきました。そして、サウルが用を足した時、ダビデとその民は驚いて、少し笑ったのではないかと思います。

その場面を見ながら、ダビデの民はこう言いました。

今こそ、があなたに、「見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ」と言われた、その時です。(サムエル記第一24:4)

ダビデの民はいったい何を言っていたのでしょうか。神様は本当にダビデにそのようなことを言われたのでしょうか。聖書にはそのような言葉は記されていません。

ダビデの民は、サムエルによるダビデが王になる予言を聞いていたため、ダビデがサウルを殺しても良いと考えていたのかもしれません。

また、ダビデの民が言いたかったのは、「この状況を通して、神様は『サウルをあなたの良いと思うようにしなさい』と言っている」ということかもしれません。

つまり、「これは神様からの機会です。殺したらどうですか。」という提案だった可能性があります。

その瞬間、ダビデは一体何を考えていたのでしょうか。

「そうですね。これはきっと神様からの機会です。サウルが何も知らずに私に近づいた。この大変な状況を終わらせる。」とダビデは思ったかもしれません。

そこで、ダビデは静かにサウルに近づきました。しかし、その途中で、ダビデの良心が痛み始めました。そこで、サウルを殺さずに、ダビデはサウルの上着の裾をこっそり切り取ったのです。

それでもなお、ダビデの良心は痛みました。

その後、ダビデは民のもとに戻り、こう言いました。

私が、主に逆らって、に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、の前に絶対にできないことだ。彼はに油そそがれた方だから。(6節)

だから、ダビデはサウルを殺しませんでした。

ダビデの民は、神様が状況を通してサウルを殺すようにダビデを導いておられるように感じました。彼らは「これは神様からの機会ですよ」と言ったのです。

けれども、ダビデはそれを拒絶しました。なぜでしょうか。その行動が神様の命令に反していたからです。実は二つの命令に反していました。

一つ目は、「殺してはならない」という神様の戒めです。

二つ目は、サウルが主に注がれた王であるため、ダビデが彼を尊敬すべきであるということです。

私たちはどれほど、自分の考えと神様の御心を間違えることがあるでしょうか。

また、私たちは自分の状況を見て、神様が私たちにある行動を望んでおられると思うことがありますが、それが間違っていることもあるのです。

どうして私たちは、そのようなミスをするのでしょうか。それは、私たちが聖書に記された神様の既に語られた御言葉を知らないからです。

神様の御心を知りたいと思いますか。神様があなたを導いておられると感じることがありますか。

その導きが本当に神様からのものかどうかを確かめるために、必ず聖書にある神様の御言葉と比べなくてはなりません。もし一致しているなら、その導きに従ってください。

しかし、もし一致していないなら、それは神様の導きではありません。

それは、むしろ、あなた自身の感情、また誰かの意見、あるいは偶然に過ぎない状況である可能性があります。

また、神様は、あなたが神様の御言葉に従うかどうかを見ておられるのかもしれません。

だからこそ、私たちはダビデのようにこう問いかけるべきです。「神様は本当にそう言われたのだろうか。」

また、パウロが言ったように、

すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。(第一テサロニケ5:21)

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