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サムエル記第二

あなたを憎む人を愛する

サムエル記第二1:17-27

ダビデの哀歌を読むと、ダビデがヨナタンのために泣いたことは当然だと思います。なぜなら、彼は友人だったからです。

けれども、ダビデがサウルのためにも泣いたことには驚きました。そして、私は彼の恵み深い言葉を完全には理解できません。

サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、鷲よりも早く、雄獅子よりも強かった。

イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえたちにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。(サムエル記第二1:23-24)

サウルがダビデを憎んだにもかかわらず、ダビデは恵み深い態度を示しました。

だからこそ、神様はダビデについて「彼は私の心にかなう人だ」と言われました。

イエス様は、このように言われました。

「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5:43-45)

多くの人々にとって、その言葉は無理だと思います。良い言葉ですが、理想的な言葉にすぎません。全く実用的な言葉ではありません。しかし、ダビデにとっては、その言葉は理想だけではありませんでした。

いったいどのようにして、私たちは私たちを憎む人を愛することができるでしょうか。

鍵は、神様がその人々を見られるように、見ることです。つまり、ただ彼らの態度や性格、言葉、行動を見るだけではなく、神様が彼らを造られたときにどのような計画を持っておられたのかを考えることです。

そうすれば、苦々しい思いや怒りを抱くことなく、彼らのために悲しむようになります。なぜなら、サタンが彼らから神様の良い計画を盗んでしまったからです。

そして、私たちは彼らも壊れた人々であることに気づきます。罪によって、彼らは壊れました。

このように考えると、神様が人々をご覧になるように見始めることができます。

それでも、それは難しいですね。

神様、あなたの目を私に与えてください。ある人々は私を傷つけました。また、私を憎む人々がいます。あなたの憐れみ深い心を私に与えてください。

サタンが、あなたが彼らに与えたい喜びを盗んでしまったので、彼らはそのように行動しています。彼らにあなたの憐れみを与えてください。そして、彼らの痛みを癒してください。

もし、彼らの癒しのために私をお用いになることができるのであれば、どうぞ私を用いてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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