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サムエル記第二 歴代誌第一

神様を待ち望む

サムエル記第二5:1-5;歴代誌第一11:1-11

私は待つのが本当に大嫌いです。店でレジの列に並ぶのも嫌いだし、交差点で信号を待つのも嫌いです。病院で待つことも大嫌いです。

だから、ダビデの態度がよく理解できません。想像すらできません。

ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば、ダビデは10歳の時にサムエルから油を注がれました。その際、サムエルは「あなたは次のイスラエルの王になる。神様があなたを選ばれた」と告げました。

もし10歳だったとすると、ダビデはユダの王になるまで20年間も待ち、さらに全イスラエルの王になるまで27年間待ったことになります。

ダビデは忍耐強く待ち続けました。それだけでなく、待つ間にさまざまな試練を経験しました。

最初はイスラエルのヒーローとして称えられたのに、その後すぐに逃亡者となり、何度も命を狙われる状況に直面しました。

それでもなお、良い時でも悪い時でも、たとえ疑いが生じたとしても、ダビデは神様を待ち望むことを決して諦めませんでした。

ダビデは二度、神様を待ち望まずに王になるために行動する機会がありました。つまり、サウルを殺すことができる状況が二度あったのです。

しかし、それをしないでダビデは神様を待ち望み続け、神様のタイミングを信じて待ちました。

どうしてそれができたのでしょうか。私にとって、赤信号で待つだけでも非常に辛いです。

その鍵は、ダビデが神様が約束を必ず守る方であると信じていたことにあります。

ダビデは自分の手でコントロールしようとせず、神様の手に全てを委ねました。また、神様の戒めを忠実に守り続けました。

その結果、神様はダビデを良いところへと導いてくださいました。

私たちもダビデの例に従うなら、神様は私たちに対しても同じようにしてくださるでしょう。

一方、サウルはそれができませんでした。ペリシテ人がイスラエルを攻撃した時、サウルはサムエルや神様の救いを待たずに、自分でいけにえを捧げて罪を犯しました。

さらに、彼は神様の祝福を待たずに、自ら祝福を得ようとしました。

例えば、イスラエル人がアマレク人との戦いの前に、神様はこう言われました。「彼らを征服したら、彼らの物をすべて私に捧げなさい。」

それなのに、サウルは自分のために一番良いものを持ち帰りました。

この二つの事件によって、神様はサウルをイスラエルの王として退けました。

あなたはどうでしょうか。 あなたは何のために待っていますか。仕事ですか。妻ですか。夫ですか。

神様があなたの必要を備えると約束しておられることを心に留めておきましょう。

また、神様が良い未来を与えると約束しておられることを心に留めておきましょう。

ですから、神様の言葉に背いて、「私は自分の力で何かをしなければならない」と考えないでください。

神様を待ち望み続けましょう。神様に信頼し続けましょう。神様の言葉を守り続けましょう。

そうすれば、神様は必ず約束を守ってくださいます。

ダビデはこう書きました。

 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。
その恵みを待ち望む者に。。。

私たちのたましいは主を待ち望む。
主は、われらの助け、われらの盾。

まことに私たちの心は主を喜ぶ。
私たちは、聖なる御名に信頼している。(詩篇33:18、20-22)

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