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サムエル記第二

神様の恵み

サムエル記第二9章

聖書を通読したことがあり、この箇所を何度も読んだことがありますが、今日、初めて気づいたことがあります。

第3節で、ダビデはこう言いました。

サウルの家の者で、まだ、だれかいないのか。私はその者に神の恵みを施したい。(サムエル記第二9:3)

印象深い言葉は「神様の恵み」ということです。ダビデはただ「その者に恵みを施したい」と言ったのではありません。彼は「神様の恵み」を与えたいと思っていました。

おそらく、ダビデは自分の人生の中で神様の恵みを覚えていたのでしょう。彼は末っ子で、貧しい羊飼いであり、決して重要な人ではありませんでした。

それでも、神様はダビデを選び、祝福されたのです。だからこそ、ダビデはヨナタンのためにサウルの家に属する者を祝福したいと思ったのです。

メフィボシェテという人は、ヨナタンの息子でした。けれども、サウルの子孫であることから、ダビデの王位に対する脅威となる可能性がありました。

そのため、メフィボシェテはおそらく「私は殺されるかもしれない」と思ったでしょう。

実際、彼は非常に困難な人生を歩んできました。ヨナタンが殺された日に事故があり、その結果、メフィボシェテの足は不自由になってしまったのです。

けれども、ダビデはメフィボシェテを殺すのではなく、神様の恵みを与えました。彼はサウルの土地をメフィボシェテに返し、さらにメフィボシェテが生涯にわたってダビデと共に食卓を囲むことを許しました。

神様の恵みとは何でしょうか。

それは、私たちが本来値しないのに、なお与えられるものです。

私たちは救いに値せず、神様の賜物にも値しません。しかし、神様はそれを私たちに与えてくださいました。それこそが恵みです。

一方で、私たちは罪のために罰に値し、死に値します。それでも、神様は私たちを赦し、私たちが本来値するものを与えませんでした。それが憐みです。そして、それは神様の親切さそのものです。

一方で、私たちは罪のゆえに罰に値し、死に値します。それでも、神様は私たちを赦し、本来私たちが受けるべきものを与えられませんでした。

それが憐れみです。そして、それこそが神様の親切さそのものなのです。

あなたは、この神様の親切さを周囲の人々に分け与えていますか。神様から恵みと憐みを受けたように、あなたは家族や友人、同僚、そして隣人にその親切さを示しているでしょうか。

私たちもダビデのように、この世界に神様の親切さを与えましょう。その愛と恵みによって、この世界に良い影響を広げていきましょう。

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