ダビデの罪が明るみに出ました。
預言者ナタンは、ダビデに面と向かって、素晴らしい知恵を持って、ダビデの罪について話しました。
その際、ナタンは羊の話を用いました。なぜなら、ダビデが若い時に羊飼いだったからです。
その話を聞いて、ダビデの心は本当に刺されました。
ナタンはこのように話しました。ある貧しい人は一匹の羊しか持っていませんでした。それゆえ、その羊が大好きでした。けれども、金持ちの人はその羊を奪い、焼いて、その羊肉を友達に与えました。
ダビデはそれを聞いて、本当に怒りました。ダビデはこう言いました。
主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。(サムエル記第二12:5)
ナタンは答えました。
あなたがその男です。(7)
それを聞いたダビデは、自分の罪が明るみに出たことを悟りました。
ナタンの言葉は、ダビデの心を深く刺しました。
あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。(9)
つまり、ダビデは自分の手でウリヤを殺したわけではありませんでした。それでも、ダビデの計画によってウリヤが殺されたため、その責任はダビデにありました。
ナタンは続けてこう言いました。
どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前で悪を行ったのか。。。
あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。(9-10)
私たちは罪を犯したとき、そのことについてどの程度深く考えるでしょうか。つまり、私たちが悪いことをするということは、神様とその言葉をさげすむ行為なのです。
「私はあなたの言葉を気にしません。あなたは私に愛とあわれみを与えてくださいますが、私はそれを気にしません。あなたを傷つけても気にしません。自分がしたいことをします。」
意図的に罪を犯すとき、私たちはそのような態度を取っているのです。
さらに、私たちが罪を犯すと、周囲の人々が神様をさげすむきっかけを与えてしまいます。
ナタンはダビデにこう言いました。
あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせた。(14)
どれほど私たちの行動が原因で、人々がこう言っているでしょうか。
「この人はクリスチャンですか。神様はそのような方でしょうか。そうだとしたら、私はクリスチャンになりたくありません。」
さらに、私たちの罪は常に悪い結果をもたらします。
たとえダビデが悔い改め、祈ったとしても、彼とバテ・シェバの赤ちゃんは亡くなりました。
神様はダビデを赦してくださいました。そしてナタンはこう言いました。
主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。(13)
ダビデの罪の永遠の結果は取り去られました。
しかし、この世での結果は依然として残り、それはダビデとその家族に長い間影響を与え続けました。
パウロはこのように書きました。
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ6:7-8)
罪は本当に深刻な問題です。
私たちの罪が大したものではないと考え、自分自身を欺かないようにしてください。
