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サムエル記第二

私たちが罪を犯す時

サムエル記第二12:1-14

ダビデの罪が明るみに出ました。

預言者ナタンは、ダビデに面と向かって、素晴らしい知恵を持って、ダビデの罪について話しました。

その際、ナタンは羊の話を用いました。なぜなら、ダビデが若い時に羊飼いだったからです。

その話を聞いて、ダビデの心は本当に刺されました。

ナタンはこのように話しました。ある貧しい人は一匹の羊しか持っていませんでした。それゆえ、その羊が大好きでした。けれども、金持ちの人はその羊を奪い、焼いて、その羊肉を友達に与えました。

ダビデはそれを聞いて、本当に怒りました。ダビデはこう言いました。

主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。(サムエル記第二12:5)

ナタンは答えました。

あなたがその男です。(7)

それを聞いたダビデは、自分の罪が明るみに出たことを悟りました。

ナタンの言葉は、ダビデの心を深く刺しました。

あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。(9)

つまり、ダビデは自分の手でウリヤを殺したわけではありませんでした。それでも、ダビデの計画によってウリヤが殺されたため、その責任はダビデにありました。

ナタンは続けてこう言いました。

どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前で悪を行ったのか。。。

あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。(9-10)

私たちは罪を犯したとき、そのことについてどの程度深く考えるでしょうか。つまり、私たちが悪いことをするということは、神様とその言葉をさげすむ行為なのです。

「私はあなたの言葉を気にしません。あなたは私に愛とあわれみを与えてくださいますが、私はそれを気にしません。あなたを傷つけても気にしません。自分がしたいことをします。」

意図的に罪を犯すとき、私たちはそのような態度を取っているのです。

さらに、私たちが罪を犯すと、周囲の人々が神様をさげすむきっかけを与えてしまいます。

ナタンはダビデにこう言いました。

あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせた。(14)

どれほど私たちの行動が原因で、人々がこう言っているでしょうか。

「この人はクリスチャンですか。神様はそのような方でしょうか。そうだとしたら、私はクリスチャンになりたくありません。」

さらに、私たちの罪は常に悪い結果をもたらします。

たとえダビデが悔い改め、祈ったとしても、彼とバテ・シェバの赤ちゃんは亡くなりました。

神様はダビデを赦してくださいました。そしてナタンはこう言いました。

主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。(13)

ダビデの罪の永遠の結果は取り去られました。

しかし、この世での結果は依然として残り、それはダビデとその家族に長い間影響を与え続けました。

パウロはこのように書きました。

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(ガラテヤ6:7-8)

罪は本当に深刻な問題です。

私たちの罪が大したものではないと考え、自分自身を欺かないようにしてください。

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