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サムエル記第二

正義とあわれみ

サムエル記第二14章

ダビデは難しい問題に直面しました。息子アブシャロムを愛していました。

けれども、アブシャロムは兄アムノンを殺しました。なぜなら、アムノンは妹タマルに関係を強いたからです。

アムノンが悪かったことは明らかですが、アブシャロムも罪を犯したため、イスラエルから追放されました。

とはいえ、第二サムエル記13章39節にはこう書かれています。

ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。

アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。

どうやって正義とあわれみのバランスを取るべきでしょうか。残念ながら、ダビデはそのことをよく理解していませんでした。

ヨアブの助言によって、ダビデはアブシャロムの追放を終わらせました。それでも、アブシャロムがダビデに会うことを許しませんでした。

その結果、アブシャロムの怒りはさらに大きくなり、その心には恨みが渦巻いていきました。

アブシャロムはこう言いました。

なぜ、私をゲシュルから帰って来させたのですか。あそこにとどまっていたほうが、まだ、ましでしたのに。(サムエル記第二14:32)

結局、ダビデはアブシャロムと和解することができました。しかし、悪いことに正義が無視されました。

神様もそのような問題に直面されました。私たちを愛しておられましたが、アブシャロムのように、私たちは自分の罪によって神様の臨在から追放されました。

どうやって神様の愛と聖なる性格のバランスが取られるのでしょうか。

どうやって正義とあわれみのバランスが取られるのでしょうか。

神様は私たちを愛しておられ、方法を見つけてくださいました。

ヨアブがダビデに遣わした女の人の言葉が私は大好きです。

私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることができない水のようなものです。

しかし、神はいのちを取り去らず、追放されている者が追放されたままにならないように、ご計画を立ててくださいます。(サムエル記第二14:14、新改訳2017)

神様の計画は何でしたか。それはイエス・キリストの十字架です。

約2000年前に、イエス様はこの世に来て、私たちの罪のために十字架で死なれました。

つまり、イエス様は私たちの罰を受けてくださったのです。その働きによって、神様は私たちと和解してくださいました。

ペトロはこのように書きました。

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。

それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(第一ペテロ3:18)

イエス様の死によって正義が行われました。そして、今、だれでもあわれみを受けることができます。

ヨハネはこのように書きました。

しかし、「イエス」を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)

あなたはどうでしょうか。神様の赦しとあわれみを受け取ったでしょうか。

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