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サムエル記第二

忍耐

サムエル記第二16:1-14

英語では、「忍耐」というのは「Patience」と言います。

けれども、英語には他にもさまざまな表現があります。その一つが「Longsuffering」です。つまり、「長く苦しむこと」です。

ダビデは本当に長く苦しんでいました。

ダビデの息子はダビデの王位を奪い、ダビデの議官は彼を裏切り、さらにダビデの友人の息子も彼を裏切ろうとしていました。

そして、このサウル王の親戚はダビデを呪い始めました。

ダビデと同じ状況に置かれたら、多くの人々が罪に陥るのではないかと思います。

ダビデの甥アビシャイはこう言いました。

この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。

行って、あの首をはねさせてください。(サムエル記第二16:9)

しかし、愛している親しい人々からさまざまな傷を受けても、また知らない人から侮辱を受けても、ダビデは怒りによって行動することはありませんでした。

むしろ、ダビデはこう言いました。

見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。

ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。

たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。(11-12)

人々があなたを傷つけたとき、あなたはどう反応しますか。相手に仕返しをしようとするでしょうか。

それとも、その痛みを手放し、神様の手に委ねるでしょうか。

それは簡単なことではありません。

私は、そういうときにただ黙るべきだとは言いません。できる限り、その人と和解しようと努力することが大切です。

とはいえ、それが無理な場合もあります。

ダビデの場合、和解はできませんでした。なぜなら、和解には相手も和解を求める姿勢が必要だからです。

でも、パウロが言ったように、

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)

和解できないのであれば、あなたの傷を神様に委ねましょう。そして、相手を許せるように祈り、また知恵を求めて祈りましょう。

つまり、相手に関してどうすれば良いかを神様に尋ねましょう。

そして、イエス様のようになりましょう。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。(第一ペテロ2:23)

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