英語では、「忍耐」というのは「Patience」と言います。
けれども、英語には他にもさまざまな表現があります。その一つが「Longsuffering」です。つまり、「長く苦しむこと」です。
ダビデは本当に長く苦しんでいました。
ダビデの息子はダビデの王位を奪い、ダビデの議官は彼を裏切り、さらにダビデの友人の息子も彼を裏切ろうとしていました。
そして、このサウル王の親戚はダビデを呪い始めました。
ダビデと同じ状況に置かれたら、多くの人々が罪に陥るのではないかと思います。
ダビデの甥アビシャイはこう言いました。
この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。
行って、あの首をはねさせてください。(サムエル記第二16:9)
しかし、愛している親しい人々からさまざまな傷を受けても、また知らない人から侮辱を受けても、ダビデは怒りによって行動することはありませんでした。
むしろ、ダビデはこう言いました。
見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。
ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。
たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。(11-12)
人々があなたを傷つけたとき、あなたはどう反応しますか。相手に仕返しをしようとするでしょうか。
それとも、その痛みを手放し、神様の手に委ねるでしょうか。
それは簡単なことではありません。
私は、そういうときにただ黙るべきだとは言いません。できる限り、その人と和解しようと努力することが大切です。
とはいえ、それが無理な場合もあります。
ダビデの場合、和解はできませんでした。なぜなら、和解には相手も和解を求める姿勢が必要だからです。
でも、パウロが言ったように、
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)
和解できないのであれば、あなたの傷を神様に委ねましょう。そして、相手を許せるように祈り、また知恵を求めて祈りましょう。
つまり、相手に関してどうすれば良いかを神様に尋ねましょう。
そして、イエス様のようになりましょう。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。(第一ペテロ2:23)
