悪い人々が亡くなる時、多くの人々は喜ぶことがあります。
例えば、麻原彰晃が死刑執行された際、多くの人々が喜びを感じたかもしれません。その感情を私は理解できます。
しかし、そのような人々が亡くなる時、神様はどのように感じるでしょうか。
神様の心にかなう存在であったダビデの姿を見ると、神様の感情を少し理解できるのではないかと思います。
ダビデの息子アブシャロムが亡くなった時、ダビデはどのように反応したのでしょうか。アブシャロムはダビデを憎み、ダビデの王位を奪おうとしました。
それでもなお、ダビデはその息子の死を聞いた時、泣きながらこう言いました。
わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。
アブシャロム。わが子よ。わが子よ。(サムエル記第二18:33)
人々が滅びる時、神様も同じように感じられます。
たとえ私たちが神様を憎み、神様の王位を奪おうとしても、私たちが亡くなる時には、神様の心が苦しみ、涙を流されます。
だからこそ、約二千年前、神様はこの世界に来て、私たちの罪のために死んでくださいました。
私たちは死に値しましたが、神様が私たちの罰を受けてくださったのです。その生け贄によって、私たちは永遠の命を受けることができます。
パウロはこのように書きました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:7ー8)
もし、神様が良い人々のために死なれたのなら、それは私たちにとって理解しやすいでしょう。けれども、事実はこうです。私たちは皆、罪人であり、地獄に値します。
それでも、神様は私たちを愛してくださったので、私たちが地獄に行くのを避けるために、ご自身の命を捧げてくださいました。
悪い人々が亡くなる時、あなたはどう感じますか。また、あなたを傷つけた人が苦しんだ時、あなたはどう感じるでしょうか。
神様が私たちに与えてくださった恵みを覚え続けましょう。そして、その恵みを私たちを傷つける人々にも分かち与えましょう。
