多分、ダビデはすでにヨアブにうんざりしていたのでしょう。
まず、ダビデがイスラエルを統一しようとしていた時に、ヨアブはアブネルを殺しました。
さらに、ダビデが「私の息子アブシャロムを殺してはならない」と命じたにもかかわらず、ヨアブはアブシャロムを殺しました。
ダビデがそのことを知っていたかどうかは聖書に記されていません。とはいえ、ダビデの兵士の言葉によれば、「王には、何も隠すことはできません。」(第二サムエル記18:13)
また、ダビデはアブシャロムの将軍を自分の将軍にしようとしていたのです。
そして、ヨアブの弟アビシャイがシムイを殺そうとした時、ダビデはこう言いました。
ツェルヤの子らよ(ツェルヤはアビシャイとヨアブの父だった)。あれは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。
あなたがたは、きょう、私に敵対しようとでもするのか。(第二サムエル記19:22)
確かに、ダビデはヨアブにうんざりしていたことでしょう。
ヨアブは自己中心的で残酷な人でした。それでも、この箇所では、ヨアブはダビデに重要な助言を与えました。
ダビデはアブシャロムのために泣きすぎており、自分の涙が民に与える影響を理解していませんでした。
民はダビデのために戦い、ある者はダビデのために命を落としました。けれども、ダビデがアブシャロムのために涙を流していることを聞くと、彼らは恥ずかしさを感じ、町にこっそり戻ったのです。
そのため、ヨアブはダビデにこう告げました。
あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。
あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとって取るに足りないことを明らかにされました。
今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったでしょう。
それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。
私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。
そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。(サムエル記第二19:6-7)
ダビデはその言葉を聞いた時、きっとその助言を拒否するのは簡単だったでしょう。また、ヨアブへの怒りによって耳を閉ざすことも簡単だったはずです。
その言葉はダビデにとって苦しく響きました。さらに、ヨアブがアブシャロムを殺していたため、ダビデの心は複雑であったことでしょう。
けれども、ダビデはヨアブからの助言でさえも取捨選択することができました。彼は民のもとへ行き、感謝を述べ、彼らを励ましたのです。
時には、私たちもそのような態度を取る必要があります。
あなたには苦手な人がいるかもしれません。
親族かもしれないし、同僚や上司、あるいは教会の人かもしれません。過去に、その人から傷つけられたことがあるかもしれません。
しかし、そのような人が私たちの最善のために有益なことを言う場合があります。
その時には、ダビデのように、自分にとって好ましくない人の言葉を選別し、受け入れる姿勢が求められます。
それには謙遜が必要です。そして、聞く耳を持つことが求められます。
神様の言葉は、時に予想外の場所から与えられることがあります。
自分の感情によって、その大切な言葉を聞き逃すことのないようにしましょう。
