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サムエル記第二

王が帰る時

サムエル記第二19:19-39

ダビデはイエス様の先祖ですが、多くの点でダビデはイエス様の予表とされています。

ダビデは愛する人々に裏切られ、王位を奪われましたが、やがてその王位に返されました。

同じように、イエス様は私たちを愛してくださいましたが、私たちはイエス様に反抗し、サタンがこの世界の支配者となりました。

しかし、やがてイエス様はこの世界に戻り、その王位に返されるでしょう。

さらに、ダビデと同様に、キリストが帰られる時には三つのことが起こります。それは、あわれみ、裁き、そして報いです。

あわれみ:

シムイは罰に値していました。王を呪ったため、死に値するものでした。そのため、アビシャイはシムイを殺したかったのです。けれども、ダビデは彼にあわれみを与えました。

同じように、キリストが帰られる時、私たちも本来なら死に値するものです。

それでも、もしあなたがクリスチャンであるなら、すなわち、イエス様を信じ、キリストの十字架の働きを信じているならば、罰を受けることなく、あわれみを受けることができます。

とはいえ、私たちが受けるあわれみとシムイが受けたあわれみには、大きな違いがあります。

シムイのあわれみには代価がなく、その後、彼の行動によってダビデの息子ソロモンに裁かれ、命を落としました。

一方、私たちが受けたあわれみはイエス様の血によって払われました。そして、イエス様のいけにえのおかげで、私たちのあわれみは決して取り消されることはありません。

裁き:

イエス様が帰られる時、私たちは皆、自分の善行や悪行について裁きを受けます。クリスチャンも裁きに向き合います。

パウロはこのように記しました。

主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。

そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(第一コリント4:5)

クリスチャンであれば、罪のために地獄に行くことはありません。それでも、神様は私たちの人生を照らし、行いと動機の両方を評価して、私たちを誉めたり、叱ったりされます。

ダビデはメフィボシャテを裁きました。つまり、ダビデがアブシャロムから逃げていた時に、メフィボシャテはダビデを支えることなく、喜んでいたと言われています。

けれども、私の考えでは、多分メフィボシェテのしもべであるツィバの方に問題があったと思われます。

ツィバはダビデから報いを得るために、メフィボシェテについて悪口を言った可能性があるのです。

ダビデはどちらが嘘をついているかを見分けることができなかったため、メフィボシャテとツィバにサウルの土地を分け与えるよう命じました。

しかし、ダビデと異なり、神様には何も隠されていません。

神様は私たちの心と動機を完全にご存じであり、正しい裁きをされます。

報い:

ダビデとその民が逃げていた時、金持ちのバルジライは彼らを助けました。そのため、ダビデは帰還後にバルジライに報いを与えたいと思いました。

同様に、イエス様が帰られる時には、忠実なクリスチャンに報いを与えられるのです。

イエス様はこのように語られました。

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べ物を与え、わたしが渇いていたときに、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったときに、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。。。

まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。 (マタイ25:34-36,40)

キリストはいつの日か王位に戻られるのです。

その日に、イエス様はあなたに何を語られるでしょうか。

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