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サムエル記第二

情熱はあるけど、間違っている

サムエル記第二21:1-14

情熱があることは良いことです。特に、神様とその民のために何かをする時に情熱を持つことは、本当に素晴らしいことです。

私たちが神様への愛に動かされて何かをする時、神様はそれを大いに喜んでくださいます。ただし…

ただし?

その通りです。例外があります。つまり、神様は私たちの情熱そのものには関心をお持ちではありません。

神様は、私たちが正しいことを行うことを望んでおられます。そして、もし情熱が原因で私たちが悪いことをするならば、それは神様を喜ばせるものではありません。

これが、この話のポイントです。2節にこう書かれています。

ギブオンの人たちはイスラエル人ではなく、エモリ人の生き残りであって、イスラエル人は、彼らと盟約を結んでいたのであるが、サウルが、イスラエルとユダの人々への熱心のあまり、彼らを打ち殺してしまおうとしたのであった。(サムエル記第二21:2)

ヨシュアの時代に、ギブオン人たちはイスラエル人を欺き、平和条約を結びました。(ヨシュア記9章)

騙されても、イスラエル人はその条約を守る必要がありました。

ところが、サウルはイスラエル(と神様?)への熱心さのあまり、ギブオン人を殺そうとしました。1節によると、サウルの家族も多くのギブオン人を殺害したようです。

そのため、イスラエルには三年間の飢饉が起こりました。しかし、ダビデがサウルとその家族の罪を解決した後、その飢饉は終わりました。

同様の問題は、クリスチャンの歴史の中にも見られます。例えば、十字軍やスペイン異端審問所は、クリスチャンの汚名として記憶されています。

多くの人々は神様への熱心さを持っていましたが、その結果、酷いことをしてしまったのです。

今でも、そのような問題を見ることができます。それは暴力的な行動に限りません。

多くのカルトの信者は神様への熱心さを持っています。例えば、モルモン教やエホバの証人です。彼らは宣教旅行に出かけ、多くの人々と神様について話します。

とはいえ、彼らの教えは誤っています。そのため、神様は彼らの活動を喜んでおられません。

毎年、多くの人々が「イエス様は今年戻られる」と信じ、自分の持ち物を売り、仕事を辞めて主を待ち望むことがあります。

彼らもまた、熱心さはありますが、誤った方向に向かっています。

では、問題は何でしょうか。パウロがその答えを示しています。

 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。(ローマ書10:2)

この箇所で、パウロはイスラエル人について語っています。彼らは律法によって神様の前に義と認められるよう努力していました。

彼らも熱心さを持っていましたが、それは間違った方向に向かっていました。

しかし、パウロの言葉には一般的な真理が示されています。知識に基づかない熱心さでは、神様を喜ばせることはできません。むしろ、神様はそれを全く喜ばれません。

では、知識はどこから来るのでしょうか。それは神様の御言葉から来ます。

だからこそ、自分に問いかけるべき質問は次のとおりです。

「私はどれほど神様の御言葉を知っているでしょうか。神様の御心を知らずに、情熱だけがあるのではないでしょうか。」

このように問わなければならないのは、ある日あなたが神様の前に立つ時、本来なら神様に誉められるべきところで、神様から叱責を受ける可能性があるからなのです。

あなたの熱心さは知識に基づいたものでしょうか。

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