ソロモンの話を始める前に、歴代誌第一の「プロローグ」からもう二つの話について触れたいと思います。
この箇所には、ヤベツの物語が記されています。
私たちはヤベツについてほとんど何も知りません。彼の職業も、誰と結婚したのかも、子どもがいたのかどうかも、どれほど生きたのかも分かりません。
私たちが知っているのは二つのことです。
一つ目は、ヤベツが重んじられた人であったということです。
二つ目は、ヤベツが恥ずかしい名前を持っていたということです。彼の母親はヤベツを出産したとき、本当に痛みを感じたようです。そこで、その赤ちゃんに「ヤベツ」という名前をつけました。
「ヤベツ」という名前は、ヘブル語の「痛み」という言葉に似ています。
そのような名前を持っていたヤベツが育ったとき、どのような人生を送ったのか想像できるでしょうか。
周りの男の子たちは「やあ、痛いくん!出ていけ!」と言ったかもしれません。
また、彼は自分の母の愛を疑ったかもしれません。
「お母さんは私を本当に愛しているのだろうか。もしかしたら、お母さんにとって、私は苦しみの原因なのだろうか。」
おそらく、母親や周りの人々から拒絶されたことによる苦しみの中で、ヤベツは神様に向かって叫んだのでしょう。
私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。
そこで、神様は彼の願ったことをかなえられました。(歴代誌第一4:10)
あなたはどうですか。過去の傷からまだ苦しんでいるでしょうか。
お父さんやお母さんに拒絶されたと感じているかもしれません。または、学校で友達が全くいなかったかもしれません。
あなたの過去の傷を持ち続ける必要はありません。その傷があなたの現在と未来に影響を与える必要もありません。
あなたの傷を神様に委ねてください。
そして、あなたの人生を神様にささげて、神様の臨在と祝福のために祈ってください。
そうすれば、あなたが成長の過程で受け取れなかった愛と受け入れを、今、神様から受け取ることができるのです。
しかし、その愛と受け入れを受け取っただけで満足してはいけません。
むしろ、神様から受けた愛と受け入れを、傷ついている周りの人々と分かち合ってください。
パウロが言ったように、
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。(第二コリント1:3-5)
