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列王記第一 歴代誌第二

宮となるのには

列王記第一8:1-11;歴代誌第二5章

ソロモンは本当に美しい宮を建てました。その時代までのイスラエルの歴史において、これほど美しい建物は存在しなかったかもしれません。

しかし、その宮がどれほど美しくても、それはただの建物に過ぎませんでした。

そして、神様がその宮に臨まれました。

列王記第一8:10-11には、こう書かれています

祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。

祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。

宮とはいったい何でしょうか。宮は神様が住まわれる場所です。そして、神様の栄光が輝く場所でもあります。

しかし、もし神様がおられなければ、それはただ空の建物に過ぎないのです。

では、どうして私たちが神様の宮と呼ばれているのでしょうか。

それは私たちの外見の美しさのためではありません。つまり、私たちが細くても太っていても、背が高くても低くても、賢くても賢くなくても、美しくてもそうでなくても、才能があってもなくても、それらは全く問題ではないのです。

では、何によって私たちは神様の宮と呼ばれているのでしょうか。

それは、神様の臨在と栄光が私たちの中にあることによるのです。

つまり、私たちがクリスチャンになると、神様は私たちの心の中に住んでくださり、その栄光が私たちを通して輝きます。そのことによって、私たちは神様の宮と呼ばれているのです。

あなたが自分自身を見たとき、何を思うでしょうか。神様の宮として自分を見るでしょうか。それとも、ただの普通の建物として見るでしょうか。

神様はあなたをご自身の宮としてご覧になります。あなたは神様の住まいであり、神様はあなたを通してご自身の栄光を表したいと望んでおられます。そして、周りの人々はそれを見て、神様に近づくのです。

どうかそのことを忘れないでください。この真理を心に留めながら、イスラエルの民のように神様の前に跪き、宣言しましょう。

主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(歴代誌第二7:2)

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