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列王記第一 歴代誌第二

神様は私たちを懲らしめられる時

列王記第一11:14-41;歴代誌第二9:29-41

神様は私を罰しておられるでしょうか。

時々、辛い時に、人々はその質問を訊きます。

実は、多くの場合、私たちが自分のせいで辛い時を経験しているのだと思います。つまり、私たちの悪い行動によって大変なことが起こります。それは当然のことと言えるでしょう。

パウロが言ったように、

人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。(ガラテヤ6:7)

時々、私たちが神様に背を向ける時、神様は私たちが困難を経験することをお許しになります。

しかし、その時、神様の目的は、そのつらい経験を通して、私たちの人生に最終的に良いことをもたらすことです。つまり、私たちが罪に背を向け、再び神様に向かうことです。

神様はソロモンを懲らしめるために、国内の敵(ヤロブアム)と外国の敵(ハダデとレゾン)を起こされました。けれども、神様がソロモンの懲らしめについて何を言われたのかをご覧ください。

何年か前、神様はソロモンの父ダビデに言われました。

わたしは「ソロモン」にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。

もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。

しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。

あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。(第二サムエル記7:14-16)

神様が言われたのは、もしソロモンが悪いことをしたとしても、神様は彼を懲らしめられますが、それでもソロモンを愛することをおやめにならないということです。

そのため、列王記第一11:39で、神様はこう言われました。

このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。

二つのことに気づくべきです。

一つ目は、私たちが罪を犯した時、神様は私たちを懲らしめられるということです。

しかし、もし私たちが悔い改めるなら、神様は決して私たちを責め続けることはなさいません。むしろ、私たちを赦してくださいます。

ダビデはこう書きました。

主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。(詩篇103:9)

二つ目は、私たちが罪を犯したとしても、神様は私たちを愛することをおやめにならないということです。

あなたは悪いことをして、「神様は私を罰している」と思うかもしれません。

確かに神様は、あなたを懲らしめておられるかもしれません。

けれども、心に留めてください。神様は私たちの益のために私たちを懲らしめてくださるのです。

神様は、あなたが罪を犯すのを待っておられるわけではありません。神様にとって、あなたを罰することは決して楽しいことではありません。

むしろ、神様はあなたを愛しておられ、あなたの最善を望んでおられるのです。

ヘブル人への手紙の著者はこう書きました。

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(へブル12:5-11)

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