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伝道者の書

新しいことがないでしょうか

伝道者の書1:1-11

私の娘が二歳の頃、彼女にとっては、すべてが新鮮でした。私にとっては当たり前の物が、彼女には驚きと感動を与えていたのです。

どうして私たちは、そのような子供のような驚きと感性を失ってしまうのでしょうか。ソロモンも同じように、その感性を失いました。そして、彼はこう書きました。

一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。

日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。

風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。

川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。

すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。

昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下に新しいものは一つもない。

「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。

先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。(伝道者の書1:4-11)

私たちの希望と夢がだんだん消えていくと、私たちの考え方は簡単に悲観的になってしまいます。私たちが求めていたものは、結局、寂しさと空しさに導くのです。

希望を持って誰かと結婚しても、年が経つにつれて、愛はだんだん薄れていきます。

新しい物を買っても、すぐに興奮は消えてしまいます。

私たちは一生懸命働き、退職の日を楽しみに待ちますが、その日が来るとすぐに退屈を感じてしまいます。

喜びを与えてくれると思ったものが、私たちをほんの少しの間だけ満足させたとしても、結局は空しさを感じさせるのです。

なぜでしょうか。

それは、神様のいない人生だからです。

神様は愛と喜び、そして平和の源です。

他のどんなものも、私たちをほんの少しだけしか満足させることができません。最終的には、それらが空しいものであることに気づくのです。

しかし、もし私たちが神様に焦点を当て、神様のみ心に従うなら、私たちの人生は毎日新鮮で、常に新しいものとなります。

神様のみ心に従い、私たちの妻や夫を敬い、愛するなら、年月が経っても結婚は枯れることなく、さらに美しく咲き誇るでしょう。

また、神様が私たちのために準備してくださった仕事をするなら、ただお金を稼ぐだけでなく、充実感を持つことができます。

そして、神様の御心に従い、自由な時間を賢く使うなら、例えば人々を祝福し、また人々から祝福されることで、私たちの人生は毎日新鮮で、充実したものとなるのです。

あなたはどうでしょうか。あなたの人生にうんざりしていませんか。存在しているけれど、本当には生きていないと感じていませんか。

ここに一つの解決があります。それは、自己中心な態度を捨てることです。自己中心の人生はすぐに枯れます。けれども、神様を中心とした人生は新鮮で、深い喜びに満ちます。

だからこそ、神様を求めてください。神様の御心を求めてください。そうすれば、毎日が新鮮な冒険となり、神様の愛と喜び、そして平和があなたの心を満たしてくれるでしょう。

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