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伝道者の書

哲学の限界

伝道者の書1:13-18

すべての人々が問いかける質問があります。それは、人間の知恵では答えられないにもかかわらず、誰もが抱く疑問です。賢い人々も、知識のある人々も、その答えを探し求めてきました。

その質問とは何でしょうか。

「どうして?」

「どうして私は存在しているのでしょうか?どうして人間は苦しむのでしょうか?どうして人間は亡くなるのでしょうか?どうしてこの世に悪があるのでしょうか?」

何世紀にもわたって、人々はそのような問いを抱えてきました。何世紀にもわたって、人間の知恵を用いて、その問いに答えようとしてきました。

けれども、ここに一つの問題があります。それは、私たちの知識と知恵には限界があるということです。そのため、このような問いに対して、私たちは決して完全な答えを出すことができません。

結局、ソロモンはその真理に気付くようになりました。そして彼はこう言いました。

私は、天の下で行われるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。

私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。(伝道者の書1:13-15)

つまり、ソロモンは、この世について問い、探求を重ねる中で、苦しみや壊れた者たちを目の当たりにしました。そして、彼が理解したのは、「どうして」という問いの答えを見つけることができなかったということです。

彼の知恵は、この世の歪んだものや壊れたものを修復することができませんでした。彼の知恵は、人生の空しさを埋めることもできませんでした。

そのため、ソロモンはこの結論に至ったのです。

実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す。(18)

神様が存在されなければ、結局、哲学者たちが正直であれば、同じ結論に達するでしょう。

「どうして」という質問に答えられないために、「人生には意味がないし、悪は当たり前です。文句を言っても何も変わりません。だから、頑張ってください。できるだけ、人生を楽しんでください。なぜなら、明日何が起こるか分からないからです。」

しかし、そのような言葉には希望がなく、人々を癒すこともできません。その言葉を信じる人々は、最終的に悲しみに沈み、失望してしまいます。

「どうして」の答えを知っている方はただ一人。それは神様です。神様は、一人一人の人生の糸を見ているだけではなく、タペストリー全体を見ておられます。だからこそ、神様は私たちの人生の意味や苦しみの理由をよくご存じです。

そのため、神様にこそ、私たちは苦しみの中で希望を見出すことができるのです。神様にこそ、未来の希望を見出すことができるのです。

希望を見つけたいと思いますか。それは人間の知恵や哲学の中には見つけられません。なぜなら、人間は「どうして」に答えられないからです。

「どうして」の答えを知っているのは神様だけです。そして、神様においてのみ、私たちは希望を見つけることができるのです。

けれども、結局のところ、一番大切な質問は「どうして」ではありません。

一番大切な質問は、「私は神様を信頼するだろうか?私の大変な状況の中でも神様を信頼するだろうか?この世の悲劇や悪を目の当たりにしても神様を信頼するだろうか?」という問いです。

「イエス」と答えるならば、あなたと、この世の人々が探し求めている希望を見つけることができるのです。

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