伝道者の書を読むと、ソロモンの立場がすぐに分かります。ソロモンが本当にその立場を取ったのか、それとも神様から離れた人の視点を代弁しているのか、私は分かりません。
ただ、彼が言っているのは、この人生しか何もないということです。死んだらそれで終わりだという考えです。彼は、2章、3章、8章、9章で何度もそのようなことを言っています。
時々、彼がそのように言うとき、絶望しているように見えます。
私は心の中で言った。「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は私に何の益になろうか。」私は心の中で語った。「これもまたむなしい」と。
事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、いっさいは忘れられてしまう。知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる。(伝道者の書2:15-16)
また、
私は心の中で人の子らについて言った。「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」
人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。
みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。
だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。(3:18-21)
もう一度、
何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。
風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない。悪は悪の所有者を救いえない。。。
悪者に対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある。これもまた、むなしい、と私は言いたい。(8:7-8,14)
最後に、
すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。
善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。
同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行われるすべての事のうちで最も悪い。
だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。(9:2-3)
この考え方によって、ソロモンは「どうしようもない」態度を取ってしまいました。だから、彼の結論は、「できるだけ、この人生を楽しんでください。」(3:12-13、22;8:15;9:7-10)でした。
もちろん、この人生を楽しむべきです。神様からの快楽を楽しむべきです。嬉しくなるべきです。良いことをするべきです。結婚を楽しむべきです。食べたり、飲んだり、仕事を楽しんだりするべきです。
しかし、この地上の人生がすべてではありません。死は終わりではありません。
だから、この世に悪を見るときも、正義が必ず来ると確信できます。この世に痛みや苦しみを見るときも、癒しが必ず来ると確信できます。
また、私たちの決断によって永遠の報いが来ると確信できます。つまり、この世での私たちの行動に対して、神様は永遠の報いを与えてくださるのです。
パウロが書いたように、
神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。
忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。(ローマ2:6-8)
ソロモンは、こう言いました。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。(伝道者の書3:11)
つまり、人々は死に直面すると、「これが終わりだと信じられない。これが終わりだと信じたくない」と叫びます。
ある人々はそう言いながらも、結局絶望してしまいます。
他の人々は、ソロモンのように「どうしようもない」態度をとり、できるだけ今の人生を楽しもうと思います。
しかし、どうして神様は、人の心に永遠を与えられたのでしょうか。それは、神様が人々に神様を飢え求めることを望んでおられるからです。もし私たちがそうするなら、自分の壊れた人生は癒され、苦しみの中で平和を受け、この世においても永遠においても素晴らしい人生を生きることができるのです。
だから、絶望を感じる必要はありません。「どうしようもない」態度をとる必要もありません。この地上の人生よりも素晴らしいことがあるので、喜ぶことができるのです。
あなたはどうですか。
この人生しか何もないと思って、絶望していませんか。すべてが空しいと思い、「どうしようもない」態度をとっていませんか。
神様を求めましょう。そうすれば、希望を見つけ、あなたの人生の意味を見つけることができます。
イエス様の約束をいつも思い出ましょう。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)
