数年前、あるアメリカン・フットボールの選手ティム・ティーボウは、本当に人気になりました。彼が、あまり良い選手じゃなかったけど、彼のリーダーシップによって、そのチームはある程度成功した。だから、多くのアメリカ人は、ティーボウが大好きでした。
それに、彼はクリスチャンで、試合をやりながら、よく祈っていた。そして、多くの人々は彼を真似した。そのポーズは「ティーボイング」と呼ばれた。それも、人気になった。
けれども、その次の年は、彼のチームは、もっと良い選手を得て、ティーボウをクビにした。彼は他のチームに移籍したけれど、結局、彼はもう一度、クビにされた。今、彼は、まだフットボールをやりたいのに、どのチームでも彼が欲しくないです。
私のポイントは?人気と出世は儚いことです。どんなに人気者になっても、会社で、どんなに出世しても、結局その人気と立場はなくなる。
この箇所において、ソロモンは、そう教えた。
最初に、王の例を与えた。その王は、自分の立場、また、自分のやったことを誇って、もはや、他の人々のアドバイスを聞かなくなった。だから、彼は馬鹿な決断をして、クーデターが起こって、別の人が王になった。
その次の王は、元は貧しい人だった。けれども、彼は牢から出て、本当に人気の王になった。ところが、結局、彼の人気も、なくなりました。
人気と出世は悪いことでしょか。そうではないです。イエス様はどっちもありました。彼は人気者になったし、彼のステータスも上がりました。それでも、イエス様は、そのことが儚いと分かりました。つまり、人々が気まぐれだと分かりました。
イエス様が奇跡を行っている間は、本当に人気者になった。けれども、ヨハネは、イエス様についてこう書いた。
しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからである。
また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったのである。(ヨハネ2:24-25)
もちろん、イエス様は、その人々の愛と忠実さを疑って正しかった。ある日曜日、彼らは、イエス様を王として祝っていた。けれども、その次の金曜日、彼らは「イエスを十字架に付けろ」と叫んだ。
だから、自分のステータスや人気に焦点を当てずに、天の父を喜ばせることに焦点を当てた。なぜなら、そうすれば、本当の喜びと満足が見つけられると分かっていたから。
また、人々を喜ばせたら、その喜びと満足が見つけられないと分かりました。イエス様が喜んでいたのは、天の父が「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。]と言う事です。
あなたはどうですか。あなたの目的は人気者になる事でしょうか。もしくは、あなたの目的は出世する事でしょうか。それらは、儚いです。もし、それらを求めたら、一番大切なことを得られない。つまり、神様の承認をもらわない。
私たちの目的が人気か出世にならないように。むしろ、私たちの目的は、神様からこの言葉を聞くことです。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わたしの愛する子です。わたしはあなたを喜ぶ。」
