伝道者の書の前半では、ソロモンが人生において何が虚しいかを説明しています。
けれども、6章の後半から、ソロモンは批判者の視点から語り始めます。
彼はこう尋ねます。「あなたはいろんなことが虚しいと言いました。それなら、どうやって私の人生の中で良いものを見つけることができるのでしょうか。あなたの言葉は私を全く助けてくれない。
神様は私を無意味な人生を生きるために造られたのでしょうか。もしそうだとしたら、どうやって神様と争うことができるのでしょうか。そして、私が死ぬ時、どうすれば充実した人生を生きたと言えるのでしょうか。」(伝道者の書6:10-12)
そのため、伝道者の書の最後の部分で、ソロモンはこれらの疑問に答えます。
そして7章の冒頭で、私たちはどのようにして良いものを見つける秘訣を学べるかに関する手がかりを見つけます。ソロモンは次のように記しました。
。。。死の日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれに心を留めるようになるからだ。
悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。
知恵ある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。(伝道者の書7:1-4)
初めて読むと、このアドバイスは少し悲しく感じられるかもしれません。死について考えることで、良いことを見つけることができるのでしょうか。それは本当なのでしょうか。ソロモンの言葉は一体どういう意味を持っているのでしょうか。
もしあなたが本当に良いことを見つけたいのなら、人生について正しく考えなくてはなりません。つまり、私たちの人生は短いということです。そして、私たちは皆、いつか死を迎えます。
その事実を常に思い出すことで、何が本当に大切なのかを思い出すことができます。
私たちは葬式に出席するとき、自分の人生がどこに向かっているのか、また何が重要なのかを考え始めることが多いのではないでしょうか。
死に直面すると、私たちが気づくのは、お金や持ち物が実際にはそれほど大切ではないということです。むしろ、私たちが愛する人々が大切であり、さらに、神様の御心に従うことが重要です。
死を迎えたとき、誰も「もっと残業しておけば良かった」とは言わないでしょう。また、「もっとパーティーに行けば良かった」や、「趣味にもっと時間を費やせば良かった」と考える人もいないでしょう。
むしろ、多くの人々がこう思います。
「家族ともっと時間を過ごしていれば良かった。」 「時間を無駄にしなければ良かった。」 「本当に大切なことに焦点を当てていれば良かった。」
それでも、私たちはしばしば大切ではないことに焦点を当ててしまうのです。
あなたはどうですか。今日あなたがこの世を去るとしたら、充実した人生を生きたと言えるでしょうか。大切なことに焦点を当ててきたと言えるでしょうか。
それとも、「私の人生を無駄にしてしまった」と言わざるを得ないでしょうか。
正しい視点を持っているなら、きっとそのようなことは言わないはずです。
しかし、今のあなたの視点はどうでしょうか。
