これは本当に不思議な話です。この話を読むと、私の心にはさまざまな答えの出ない疑問が湧き上がってきます。
ユダから来た預言者がイスラエルに行き、ヤロブアム王に面と向かって語りました。つまり、彼はヤロブアムの罪を厳しく責めたのです。そのためヤロブアムは手を伸ばして、「彼を捕らえよ」と命じました。
ところが、その瞬間、ヤロブアムの手はしなびて動かなくなりました。それでヤロブアムは預言者に「私のために祈ってください」と頼みました。
預言者が祈ると、ヤロブアムの手は癒されました。
けれども、多くの悪い人々と同じように、ヤロブアムはその預言者に賄賂を与えようとしました。しかし、その預言者はこう答えました。
たとい、あなたの家の半分を私に下さっても、あなたといっしょにはまいりません。また、この所ではパンを食べず、水も飲みません。
主の命令によって、「パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない」と命じられているからです。(列王記第一13:8-9)
だから、若い預言者は別の道を通って帰り始めました。
その時、ある年老いた預言者が息子たちからその話を聞きました。その預言者が誰だったのか、私たちには分かりません。
その預言者は本物の預言者だったのでしょうか。おそらく、以前は本物の預言者だったのだと思われます。とはいえ、もしかすると神様はその預言者を通して語ることをやめられたのかもしれません。
その理由は何でしょうか。私には分かりませんが、その預言者がヤロブアムの「ヤハウェ」という偶像を礼拝し始めたからではないかとも考えられます。
とにかく、その年老いた預言者は若い預言者の話を聞くと、彼を追いかけました。そして、若い預言者を見つけると、その年老いた預言者はこう言いました。
私といっしょに家に来て、パンを食べてください。(15)
その若い預言者が拒絶したので、年老いた預言者はこう言いました。
私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に「その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ」と言って命じました。(18)
だから、その若い預言者は年老いた預言者と一緒に行きました。けれども、年老いた預言者の言葉は嘘でした。
一緒に食事をした後、おそらく久しぶりに、年老いた預言者は預言を語りました。
主はこう仰せられる。「あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、入らない。」(21-22)
その若い預言者がその家を出ると、ライオンが彼を襲い、命を奪ってしまいました。
年老いた預言者はその話を聞くと、涙を流し、敬虔な言葉を述べながら、その若い預言者を葬りました。
どうしてその年老いた預言者はそのようなことをしたのでしょうか。なぜ若い預言者を誘惑したのでしょうか。
さらに、なぜ神様はその年老いた預言者を通して若い預言者に裁きのメッセージを与えられたのでしょうか。
そして、その若い預言者の死の後、なぜ年老いた預言者は泣いたのでしょうか。
私にはそれらの答えがよく分かりません。
しかし、一つだけ確かなことがあります。その若い預言者は自分が聞いたことを見分けなかったために命を落としたのです。
年老いた預言者の言葉を聞いた時、若い預言者は自分に問いかけるべきだったのです。「彼の言葉は正しそうに思えるけれど、これは本当に神様からのものだろうか?」
もし彼が神様の言葉と年老いた預言者の言葉を比較していたならば、真理を見極めることができたはずです。そして、その言葉を拒絶すべきでした。けれども、彼はそれをしませんでした。
その結果、神様の言葉に従わなかったため、最終的には命を失うことになったのです。
多くの人々は「これは神様の言葉だ」と語ります。そして多くの場合、それは本当に神様の言葉であり、教会でのメッセージや書籍を通して多くの人々に影響を与えます。
しかし、私たちクリスチャンには、聞くことや読むことを見極める責任があります。有名な牧師であっても、有名な著者であっても、その言葉を見極める必要があります。
つまり、彼らが神様の言葉を忠実に伝えているのであれば、それを聞き従うべきです。けれども、彼らがそうでないのであれば、その言葉を拒絶しなければなりません。
もし私たちが人々の言葉と神様の言葉を比べなければ、深刻な状況に陥ることになります。
残念ながら、多くの人々はそれをしません。
しかし、神様は決して変わることのない方です。そして、神様の言葉も決して変わりません。だからこそ、私たちが耳にするすべての言葉を神様の言葉と比べるべきです。
パウロが書いたように、
すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。(第一テサロニケ5:21)
